角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

こいねがうって希うと書くのですね。

 

ゴールズワージーの、世界の終末がたとえ明日でも私は今日リンゴの木を植える、という言葉をふと思い出した。いわゆる世界の名言のような括りで小学校か中学校のときに読んだのだと思う。

春一番が何度も吹き荒れるようなのは勘弁してほしいけれど、それでも吹くものは吹くし、実は雪だってこれからまだ降るものなので諦観や閉塞感の隙間からサラサモクレンの開花を強く希望する。

そんなわけで、と何の脈絡もないけど3回目のワクチン接種が済んで前回と同じように腕が痛み、発熱もした。いつも微熱だ。37度台で治まっている。微熱にはむしろ助かったという気持ちさえある。
何の気なしに起き抜けで体温を計ったら35度を切っていたので大変驚いたのがその前日のことだったからだ。このままどんどん下がっていったら死ぬなと思ったけど、驚いただけなので死ぬこともなかった。微熱で助かったというか、体温計が壊れていないことが確認できて良かった。

こんなふうにして私の生理機能や身体機能は文字通り葉っぱが一枚ずつ落ちるように失われていく。葉っぱなら地に還元されて次の生命に再生するかもしれないけど私は再生しない。

使うことの少ない筋肉もおちていくので巻きつけるタイプのリストウエイトを購入してみた。眺めているだけでは筋肉はつかないんだけど。
からだは十二分に動く。だからといって無理をすると就寝中に足がつったりするので、もうこれは生体ジェンガのようだ。

ついこのあいだロシアが舞台の本を読んでいた。
日々ネットに写真をあげてたウクライナボーイが明日から軍服生活の旨をつぶやいていた。
ロシアの作家ドミートリー・ブィコフという人の文章を最速翻訳したすぐれた記事がnoteにあがった。
世界だってジェンガのごとく深刻な影響が思いがけないところに発現したりもする。

識者の人は想定内だと言うかもしれないけれど、だからなんだ。想定内であろうとなかろうと痛手は痛手だ。
灯油は6週間続いて値上がりしているので、自分ちのささやかな経済を憂慮するのだった。今冬くらい我々が強く春を希求したことはこれまでにないのではないだろうか。