角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

漬物器が開かなくなった。

 

買った中古本に栞代わりの「しぶちか大感謝祭大抽選会補助券」が入っていた。2014年のものだ。もひとつ、何か機械器具のパーツのようなものの受注伝票も3つ折りになって入っていた。こちらの方は年末近くの日付だけれどどの年末かは不明。
こんなにいろいろ入っている本は珍しい。2014年に売られた本とも限らないし、何度売られた本かも分からない。ただ2014年時点では、繁華街は毎年賑わうに決まっていただろう。従前を取り戻すことができなくなった。
 
しかしながら理由はさまざまあるにせよ、誰だって従前を取り戻すことなんかできないし、寸分たがわない元通りなどはあり得ないことなので、落胆するのもどうかと思うのだけれど、それにしても2014年に自分が何をしていたか。
調べてみるとその年の前半は蕎麦店で修業という名のただばたらきをしており、後半は小さな店を開店して閉店したので一年を総括して収支を見ると無収入あるいはマイナスであったことになる。

さらに言うと、翌年の秋口までの数年間は無収入に等しかった。母は2012年に他界した。元夫は2013年に亡くなった。

よく生き伸びてきたものだ、私は。
隠居生活を数年先取りしたといえば諦めもつく。それでも無収入期間中に4回旅行をしているのは大した度胸だと思う。毎日が休みなので好きなときに出かけられたからだ。楽しかった。単一都市の往復ということはしないので、千葉、久高島、奈良、出雲、東京、岡山、倉敷、そして再び出雲に行っている。とても楽しかった。

ふたたびパートに通い出したので、そう簡単には旅行できなくなった。

危惧しているのはこの先自由に気遣いなく旅行ができる環境になったとしても個人的には年齢的にひとりたびが無理であるかもしれないということだ。
だから微妙な時期に遭遇してしまったと思うけれど、それはどの年代の誰にとっても何かしら大なり小なりの不都合はあるはずなので、だとするとすべての人が等しくダメージを受けている状態だ。
等しく圧を受けているのになぜ対立やいがみ合いがあるのだろう。各自のポジションが違うからなんだろう。
等しく圧、と書いて漬物器を思い出した。蓋についたバネで中蓋が野菜を圧迫するタイプだ。さっき壊れた。どうしても蓋が開かなくなったので割るしかなかったのだ。ザワークラウトは無事救出した。やれやれ。