角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

崩れた魅力に気づいた


somebody's nightを聞いた。この曲は売野雅勇の作詞だけど、プロの人というのはキメの言葉を持っていてすごいと思った。
次、時間よ止まれ。それからmaria。それからアリよさらば。why なぜに♪。

現役時代のお取引先にヤザワ命のような人がいて、スーツのチョイスなんかもヤザワっぽくて、その人ご自身もなかなかカッコいい人だった。若くて自信たっぷりの人だった。二、三十年というと随分大雑把だけれど、あれから彼はどうしているかと探すと、ステージⅣを闘っているらしかった。
 
今日ネットで見たのだけれど、中核派の議長が記者会見を開いたとか。シミタケという言葉を大昔に聞いた記憶が残っている。半世紀を隠れ逃れて暮らしてきたようだ。おろかしい半世紀だったかどうかは知らないけれど、おそらく革命的ではなかっただろう。少し悲しい気持ちがした。
 
私はネットで毎日いろんなことを見たり聞いたりして私自身はパソ前から動かないような生活だ。そして今日は、四季島というJR東日本の旅行プランを知ってしまい、興味をそそられたけど、いかがでしょうかとヒトにすすめることしかできないなと思った。これは富裕なご夫婦の時間の潰し方に違いない。ソロの居場所はありそうになかった。

私の居場所は主としてパソ前だ。どこでどんな時間を過ごそうと、どなたさまもわたくしも人が見た夢の中へは落ちて行かずとも、ものみな等しく、生きていさえすれば老いていくのだった。

この時節柄なかなか散歩にでかけるというわけにも行かず冬季うつ病ではないかと思ったりもするけれど、食欲は普通にあるので無問題なのだと思う。最近は豆腐に目覚めてしまい、豆腐を滅多に買うことはなかったし買うときは必ずや木綿豆腐だったのが、絹を頻繁に買うようになってしまった。豆腐を買って何をしているかというと、百パーセント食用にするのだが、木綿豆腐しか選ばなかった理由は崩れるのが嫌だったからだ。けれど今や絹ごし豆腐が鍋の中で崩れてしまってもむしろ愛しくさえ感じるのだった。ヒトは変わるものだ。今日は煮奴だった。
 
豆腐を掬いつつ、ワイドビューひだ1号の動画をみようとしたけれどどっちつかずで上手くいかなかった。犬山城が見えたのだった。車中がすいていて朝食の駅弁を咎めだてされるようなことはなかった。車窓から見える川の荒々しさから目が離れなくなった。どれも懐かしく憶えている。

さて、ほどけるような食感の豆腐という一文をとぼけるような食感と読んでしまったのでどちらにしても意味が伝わらない文章だと思った。煮奴は美味しかった。