角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

曇りのち。


今しがた「ネット依存症」の症状というのを見ていて、自分はかなりの長い時間をパソ前で過ごすので、気になって調べてみたけど、ひとつも依存症ではなかった。
 
その前は「ぼっち」のプロ度合いを見ていたら、堂々のプロであることがわかった。
一人遊園地というのがプロ中のプロのようだけど、遊園地ってどういうのか分からないけれど、水族館には喜々としてでかけるので「ぼっち1級」らしい。
 
「ネット依存症」もどきの「ぼっち」である私は、先日まとめサイトか何かで素敵なコメントを見た。車にポストイットを貼りこめるいたずらはいくつか画像を探せるけれど、そのサイトでもそんな写真が載っていて、そのすぐ下のコメントで「博士の愛した車、ってか」と1行書いていたので、ああ好きだなあと思った。
 
その人が「『博士の愛した数式』小川洋子著」を、読みおえたばかりでもなければ、とても気に入って覚えているのではないかと感じたし、私も数年前に読んだ大好きな本だからだ。
 
そういう感覚への共感や共通の感動といった線を、自分を中心にして自分が選択したあらゆる方向と角度と距離の点に対して自分の点と結ぶことはいつも自在だ。だけどそれは関係性ではないのだから、田舎の一本道で、何もない直線道で、いつまでもふざけた速度で走って後続の自分をいらつかせるファミリーカーか、あるいはロングドライブで長いこと後ろをついてきた車のようなものだ。
 
私はさっきネット上でビールの画像を見てしまい、それで何だか飲みたくなって缶ビールを1本買ってきた。半分も飲めていない。好きな本を2回読んだ。鬼灯を買った。満ちて欠ける。
わたくしたちは、月のない日に死ぬことはない。
 
あしたはどんな空に満月がのぼるんだろう。
母とぎすぎすしてた最中でも、満月の日は仲直りした。私は走って家に帰り、かあさんに月を見てと言ったのだ。あるいは電話して満月だよと言ったのだ。
 

あなたが、月を見てくれたらと思う。