角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

雨旅行。

 

明け方、人の夢を見た。
肩先が見えるのに他の人々に隠れてそれ以外は見えず、声も聞こえず、どんなに傍にいたところで、決して目が合うこともなければ言葉を交わすこともないのは、私がその人を知らないからだ。その人以外であるはずがないことを解っているけれど。 
表情が見えないのに哀しい夢だと感じるのは、見えないことが哀しいことだからだろう。
 
遅く起きた。
 
 
旅行から戻り、冷凍庫に退避させた糠床を元に戻した。店の家賃は12月半月分を支払うことになった。譲渡金の入金確認はしていないけれどきっと入るんだろう。ベランダで枯れさせてあったアレンジメント花の残骸は11月の末に捨てた。そうして「いつかの日常」に戻る。
 
発った日は大雨だった。
 
大原美術館を見て、予定を大幅に繰り上げ、出雲に向かう。とても好きな温泉があって、べたつかず、ぬるつかず、きりっと熱目の非常にさっぱりする泉質で自分の知る限りでは一番好きなお湯だから、倉敷の風、出雲の雨の冷たさの後で湯船につかった時は極楽だった。2日間で都合3回入って、東京へ。
 
見たい茶碗があった。雨の夜に上野に行って漸く拝見した茶碗は、あまり良く分からなかった。残念ながら他の国宝にはあまり興味が湧かなかったので、2日間通おうと思った予定をとりやめて、翌日はチューリヒ美術館展でジャコメッティを見た。
 
旅行に出る前に追悼の意味もあって赤瀬川原平の「無言の前衛」を読んでおり、かつて読んだことがあるとは全く信じられない程新鮮で面白く、旅行にも持参して、ときおり開き、再読タイミングとして絶好だった。
 
そんなふうにあっという間に戻ってきてしまい、多分体重もすっかり戻り、腕の痛みもやわらぎ、不調・不具合の原因を絶ったことは喜びなのだ。
 
2日続けてひとに合い、ふたりから、そんなバカげた真似ができるなんてまことにあなたらしいことだ、と言われた。まあ、それが羨ましいのであれば、一体どんな気持ちになるか、やってみればよいと思う。
 
こどもが誕生するやいなや、それまでの痛みが嘘のようになくなって、思わず、あはははと私は笑ってしまったけれど、そんなふうに、とりあえずは極めて爽快な気持ちになるので、そのために数か月と一千万近くを費やしたと思えなくもない。負け惜しみですけど。
 
問題は、ここから再び始まる。