角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

片道30分ドライブ。

 

ドアノーの写真展を見に行く。
子供を被写体にした写真が多くて可愛らしいし、いい表情の写真がたくさんある。著名人のポートレートもあって、私はジャコメッティの写真を見るのが好きだ。ボーボワールもすてきだ。

ところどころ簡単なキャプションがついているのもあり、それはこの美術館独自の企画だけれど、とても素敵なエピソードがあった。
壊れた自転車で遊んでいる子供たちの写真があるけれど、その子が大人になってドアノーをたずね、あのとき車輪のない自転車で、一生で一番美しい旅をしたと言ったそうだ。


この写真展を初めて見たのは、昨年3月の風の強い日の恵比寿の美術館だった。写真と一緒に去年の自分にも会いに行った。
その時は、あの牛乳を買いに行く子供らの写真に見とれたりしながらも、もうとっくにみんないなくなってる、と思った。

今日は、去年そう思ったことを思い出した。


私はあまり人の顔を見るのが得意ではない。顔つきというのは本人が思っているよりもとても正直だから、目と口元に全部あらわれてしまうと考えていて、それで人と目を合わせたり、人が話す口元を見たりするのはとてもこわくて嫌だと思っている。
恐らく自分の根性なんかも如実に顔つきに出てしまうと思うので、それも怖い。

だから写真には甘えて、安心してしまうところがあるかもしれない。私が直視する代わりにドアノーが見てくれた、というような。

ドアノーのことは、赤瀬川原平が書いた「個人美術館の愉しみ」の中の、京都の何必館の章で知った。

 

古いパリの写真に敬意を表して、スカートとカジュアルパンプスをはいて出かけたけれど、少し踵の音が立つ靴だったので、申し訳なかったと思う。