角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

夏の終わり。

 

購入物品等は一応の落着を見た。最近の購入はイニシャルコストではなくて仕入なので、初期の開業費用ということで考えると、物件取得費用や、玄関ドアの取り換え追加分を加算して、当初予算の1.4倍くらいになった。
といっても物件が居抜きである場合の予算をベースに組み立てているので、妥当な所かもしれない。あとは開業ぎりぎり間際で酒類の仕入れをする。妥当な所といっても、それは数字の話であって、懐を痛める側としては1.3倍まではぎりぎりなんとか持ちこたえられたけれど、1.4は想定を超え、きつい。
 
運転資金をどうしようという話だ。かくなる上は、とっとと開業して一刻も早く売上を上げなくてはならない。忙しさにかまけて、家賃の支払いをすっかり忘れていたために、やんわりと催促もされたので明日支払う。 
まるでどんどん失血して気が遠くなっていくような、そんな感じだ。どこまで正気を保てるんだろう。もしかしたらすでに私は正気の沙汰ではなくなっているのかもしれない。
 
私はくるくる回る10円玉のようだ。
 
自分は何か大きな原資を抱えて勝負しようとしているのではないから、多分、繊細で弱気な人は神経をやられてしまうかもしれない。そもそもこういう馬鹿なことを人はしないと思うけど。
私はまるで、ひとごとのようであるかまたは死にたがっているように見えて仕方がない。いや特にそんな気持ちはないけれど。
 
昼過ぎに店に出向いて作業をしていると、やがて小学生の下校時間になって、ドアの外がにぎやかになる。おもむろにドアの前に立ってのぞきこんでいく子供もいる。子供たちの声をきいたり、様子を眺めるのは、6月のプランターをのぞくときのようだ。あっという間に子供が大人になるのを私は知っている。
私は梅佳代の「男子」という写真集が好きで時々眺めていたけれど、小学生のおどけた一団などは本当にまるで宝物だ。
子どもたちの流れは、そんなに延々と続くものではなく、やがて静けさが少し戻ると今度はどこからか縦笛の音が聞こえてくる。私は西京味噌で玉味噌を練り上げていて、つい、胸がいっぱいになった。
  
私はこんな幸福をかみしめもせずに、いつまでくるくる回る自分を止めて欲しいと願って、暗闇を相手にするような時間をすごしてきた。あらかじめ誰もいなかったかもしれない向こう側の気配を幻聴したかった長い間に、どれだけの子供たちが大人になってしまい、大人はうそぶくか、目を凝らしすぎて胸は紙程度に張り裂けて、暗闇というのは、紙がうらおもてして散っていくのも見えない。