角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

先ず捨てようか。

 

財布の中に紙幣も硬貨もなくなっていた。数日間はこの状態だったと思われる。別に困ってはいない。

本当に気楽なものだ。母が存命していたならばすかさず常識がないとか何とか叱られるんだろう。
 
扇風機のついでに古い夏掛け布団も捨てることにした。食器類はもうほとんど必要がなく自分の分だけあれば十分なので組になった丼なども捨てることにした。グラス類を持っていないと思っていたら、奥の方にいくつか見つけた。使わないことが分かり切っているのでそういうのも捨てることにする。
 
息子宅の引越しはまずスケジュールを立てるといいとかつての引越し好きから提案してみた。一番先に、捨てられるものはとっとと捨てることに尽きると私は思うのだけれど、余計なことは言わないにこしたことがないので、言わない。
 
私の方はなんとなくつきあい気分で捨てる活動をしているだけであって引越しはしない。少なくとも今は。
 
それから、とりとめもなく考えたことだけれど今年を早々に総括すると、この一年私が噛みしめていたのはきっと極上の不幸だということだ。それだけだ。ご理解ください。っていうか、不幸もまた極上であるのだ。っていうと誤解を招くけど。きれいに説明ができない。長い橋の下には太い河が流れているというか。ま、そんな感じで。
 
ところで今年の干支はなんだったのだろう。先日来考えているけれど、どうしても思い出せない。調べれば良いのだけれど、特に知りたくないので調べない。だったら考えなくてもいいのだが。
郵便局からいただく年賀状には何かヒントが有る気がするけれど。
年賀状が郵便局からしか来ないのかと言われればその通りだ。もうずうっと前から私は年賀状を出していない。
おそらく私は故意である場合もそうでない場合もあわせて義理を欠く人間なのだろう。義理ばかりか人情にも欠けているようなので、やはり人間離れ、人外というやつかも。
それでも極上の日々はあったのだ。極上の日々があったから極上の不幸があるのだと思う。