角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

こなごな。

 

ときどきひっそりと散歩をする。脚力の衰えを防ぐためだ。昨日、たんぽぽ7本くらいと、水仙3株、開花した桜2本を見つけた。つい先日雨交じりの雪が降ったので、よく耐えたものだ。若い頃、某所でみた水仙の美しさを忘れられないと同時に、6月の花だとばかり思っていたら、てんでばらばら地域によって違い、むしろ新年のあたりに咲くことが多いらしい。
 
さて、ぶつけたわけでもないのに昔買った作家物の小さい器が半分に割れた。持った瞬間ぱっくりと二つに分かれたので驚いた。これをどうしたものかと考える。
金継ぎは自分でもできるもののようだけれど、不器用な自分にも可能であるとはとても思えず、依頼できるところを探してみた。そうすると、この器をいくらで買ったのかは全く覚えていないのだけれど、どう考えても修理代の方がはるかに高くつくことが分かった。
もちろん好きだから買ったのだけれど、例えば修理代金と同じ価格であったなら購入したかというと、したとは思えない。

どうしようか決めかねていて輪ゴムをかけるとぴったりと合わさって割れていることが分からなくなるけれど、このまま置いておいてもしようがないし、捨てるのもしのびないしとその辺に置いて考えている。
  
 
休みの間中、まあ私はいつも休んでいるようなものだし、とうに伝説の名馬というか名馬伝説を返上したような人間だけれど、いろいろ気晴らしにハリーポッターの映画を見ていると先日も書いた。
8作あって、7作まで見終えた。今日、最後の一つを見るはずだったのだけれど、見終えてしまうと火が消えたようにさびしくなると思うと見ることができなかった。そして今よりもかなり若い頃、さびしくなるというのは火が点いたようにさびしいことだと考えていたのだが、現今ではやはり火は消えるのだった。