角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

爆。

 

グラフにするのは楽しいと思っていたけれど、昨晩の血圧が異常であったために、眠れなくてついには翌朝、すなわち本日朝に生存確認メールを送るように息子にメールしておいた。
幸い、こうして生きているのだけれど、今風に言うと爆昇とか爆上がりというのだろうか、血圧計が壊れるかと思った。今朝もほとんど変わっていなかったので、さすがにこんな時は無理だと思って仕事を休んだ。急な当日連絡で本当に申し訳なかった。このまままたしばらく休むことにした。
 
さらに、せっかくの検査入院が無駄になっては行けないと思ったし、自分でもどうすればいいのか分からないので、とりあえず病院に行く。こういうのはあまり利口ではないと思うけれど、このまま安静にするだけでいいのかどうか分からなかった。すると病院では受付の前にコロナ問診を全来訪者に行っており、検温もされた。その周辺がなかなか混雑しており、発熱している人も多く混じっており、ああこれはもうだめかもしれないと諦めた。
 
本日の病院は前回、前々回と異なりずいぶん人が多かった。スタッフの人たちは本当に忙しそうなので誠に申し訳なく、さりとて不安も募り、いい年をしてしくしくと泣いてしまいたくなった。気丈な私はどこへいったんだろう。まあ、泣いたりはしないんだけど。泣いたりくしゃみをすると鼻水が増量して、脆弱な鼻粘膜から出血する恐れがあるのだから。
こういうふうに、いくつかの制約をくぐりぬけて生き延びるのは、ゲームのようだと思った。あまり楽しくもないけれど。
 
職場の人に連絡すると仕事のことは気にせず休め、気長に待つ、というようなことを言われたけれど、前回はその情にほだされてしまって、仕事で恩返しとか古臭く考えて連休のシフトも出来る限り入ろうと思っていたのがだめになった。
 
自分はストレスには極めて強いメンタルを持っていると自負していたのはまだ比較的若い現役の頃だった。ストレス耐性というのも老化するのだろうか、自分の作業のスピード感が前と違うとふと気づいた時から、今の仕事がストレスフルになったと思う。
以前はパソコンを使っていたし、今は弁当作りなのだから、若い自分と競う必要など皆無なのだけれど。自分が身体的に問題なくてきぱきときりきりと動けるからといっていい気になっていたところがある。
 
いたわってくれる夫もいないことだし、と思い、ちょっと調べると「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ」という浪曲のフレーズは壺坂霊験記が原典だということだ。
しかも私は逆に覚えていた。私にはいたわる夫もいないのだから、セルフヘルプせよということなんだろう。散歩でもしてくるかな。