角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

どこの南、だれの西。

 

という、あの本は勿論眠い話でもなければめまいの話でもないのだけれど、あまりにもラストが好きだったためにいろいろ脳内変換をやらかしてしまうのだ。

3日間めまいが続いて3日目の今日が最も強く、逆ならばともかくクレッシェンドであったため、早朝の私は頭を上げられずに困ってしまい、時計を見れば3時すぎでもあり、眠れもせずにとうとう4時すぎには観念して起床して、ネットで調べると早朝からの受付をしているというので7時には家を出た。その前に緑茶を飲んだし、バナナも食べたし、めまいのさなかでも食欲は有り続ける不思議。
 
頭のMRIはかれこれ6、7年前に撮ったきりなので、ちょうど良い時期かもしれないと考えた。待ちに待った、というのは何も嬉しくて期待した意味ではなくて、待ち続けたの意味だけど、とにかく大病院は待つのだった。結果は何事もなくきれいな画像が撮れて先生はなんでもなかったよとわずかに残念そうに言うのだった。
 
他に何の症状もないし、恐らく血圧のせいだと思うので少し血圧の薬を飲んでみるかと私にきくので、聞かれた以上はいやだと言った。飲み続けるはめになると聞かされたことがあったので。

そしたら先生の機嫌が分かりやすく翳った。いささか唐突にじゃ御大事にと言うので、今日のこの具合の悪さはほうっておけばいいのかと聞くと、明確な返事は返ってこなかった。医療はバリバリの営業行為でもあるのだと口惜しかったけど、確かに私が要らないと言ったのだから薬が出ないのは当然だ。しかしながら本日の具合の悪さには対症的になーんの役にも立たなかった診察だ。たとえばお風呂であたためるといいよとか、アイスノンで冷やすと楽になるよというような言葉が欲しかったのだけれど、こういうのは人柄による。私の人柄もあれだし。
 
後味の悪さが口惜しいので売薬でなんとかしようとドラッグストアに向かった。風が強くて大きな、あれは何の葉なんだろうか、大きな枯葉がバサバサ落ちては舞い上がったりした。しかしながらバカバカしいと思い続けてずんずん歩いて気がついたけど、私は元気を回復していたのだ。帰宅して昼食を済ませてから、ああそういえばあまりの空腹に病院の売店でサンドイッチを買って食べたんだったと思い出した。
 
私には悪しき生活習慣があるわけではないし、食餌も塩分濃度は知らないけれど、栄養的にはOKだ。運動習慣が途絶えて久しいのでそこら辺を課題として気長に、もし高血圧のせいならば対処しようとは思う。でもネットで調べたら良性発作性頭位めまい症ってのがあって、こちらは耳鼻科の治療になるらしい。症状的にはこっちかなと。まあいいや。MRIの結果がなんともなかったことは大きな意義があることだし、2日も続けて病院に行きたくない。
 
こうやって全く好んではいないのに年齢とともに通院頻度が高まるのかと思うと暗い気持ちになる。
 
私は仕事に穴をあけたくない。人にもさとられたくない。職場では溌剌と、と言ったら大げさだけれど、気持ちよく働きたい。でもねぇ、私がたまに「いらっしゃいませぇ」と言うと、お客さんがささーっと行ってしまう。私の「いらっしゃいませ」はなんかこう、しめやかな感じになる。商品を並べるからそこを除けて欲しいという意思表示の「いらっしゃいませ」なのがバレバレみたい。