角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

もももおしまい。

 
桃といえば、桃のコンポートを作るときは良く洗って産毛をおとしたら皮つきのまま煮る方がいいと思います。湯剥きして、その皮をおもむろに鍋に入れるというレシピがあったけれど、皮つきの方がきれいに切れるし、皮は必ずはずれるから無理して剥くよりも仕上がりが美しい。
 
夏の名残ということで、桃を買ってきて、ジャムよりも桃的食べごたえがあるだろうとコンポートにした。
 
夫がいればいいと思った。
夫がいたなら新鮮な桃をはんぶんこできる。はんぶんこは方言なんだろうかと調べたら、分からない。半分ずっこという言い方をする地方があるようだ。半分こっこというのもあるらしい。これは鶏系か。
 
 
衣類の整理をしていて、ゴミ袋に入れようとしたときも、袋の口を開けたままにしてくれる夫がいればいいと思った。
  
あとは、思いつかない。照明が切れた時には再び思うかもしれないけど、LEDなので長持ちするはずだ。
 
夫婦の家事分担に関する記事を眺めると、夫が家事を手伝わないとか手伝うとか書いているのが多くて笑った。さしづめ、女性が経営者もしくは正社員で、夫はパート・アルバイトの心持ちなのではないかと。


自分が主婦だったのはすごく遠い昔の短い期間のできごとだったのですっかり忘れているけれど、息子夫婦のところはどんなことになっているのか、私は知らない。聞いたこともない。そんなに知りたいとも思わない。まあ、あのひとたちは仲良くやってくれればそれで良いので、私は手のかからない姑なのだろう。
 
新居が落ち着いた頃に、遊びにきてねと息子に言われたけれど、ひとの家に行くというのは、バナナをいつ食べたらいいのか、あるいは牛乳を飲むタイミングが分からないのと同じくらい良く分からないことなので、私は行けない。猫はみたいものの。
 
では若夫婦が拙宅に訪れるかというと、ネバー。これには深い理由があって、地味に私の謀略のような気がしないでもないけど、いえ、全く悪気はないのだけれど、拙宅にはソファがないばかりか最後の椅子を先日大型ゴミとして処分したところ。
 
息子ですら、この家はちょっと、と暗にひとを呼べないという意味のことを言ったので、ああやっぱりこの子もこれを当たり前とは思っていないのだと驚いた。
第一、そもそも母が一人で住むために買った部屋だ。狭い。
 
コンパクトなのはいいけれど、モノで溢れるのが嫌いなので、処分できるものは全部処分して居間の家具調度類は極めて少なく、仕事をしていた時のパソコン机と椅子代わりのバランスボールがある。食事はちゃぶ台があるけれど、パソ前の方がいいので、息子がきたときだけ小さなちゃぶ台を広げる。
重ねて言うけれど、何もないのだ。余計なものは。フローリング露出比がとても高いはずだ。
 
それに食器類も処分に処分を重ね、自分の分しかなかったり、あっても2人分しかない。ちなみにコーヒーカップはひとつしかないので、決して来客を想定していない部屋になっている。手作り料理でおもてなし、なんてことがあろうはずがないのだった。
私自身はせちがらい生活をしているわけでもなく、充足しているので不満がない。
でも、とりあえず他者が入り込めない空間だ。バランスボールは変かもしれないけど楽です。びよんびよんと跳ねながらご飯を食べているわけではないので無問題です。
 
そんなわけなので、お正月もひとりで過ごすので、何か素敵なことをしようと思う。
 
あ、関係ないけど、するが銀行のニュースへのコメントで、「頭取じゃなくて総取りかよ」と書いてる人がいた。だれうま。
夫がいたら二人で笑えるのかな。