角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

時系列は好きなのに。

 

今ころになって恥ずかしいことかもしれないけど、カキとコケラが違う文字であるという情報を得て早速調べると、本当に違った。
デフォルトでは分からないけれど、フォントをいろいろ変えてみると歴然とした違いが分かる瞬間がある。72ポイントくらいに拡大してやってみた。
 
この年齢になっても、知らないことや分からないことの方が圧倒的に多いのは、きっと私があれなんだろう。

そういえば先日、本当に久しぶりに近隣の美術館に行ってみた。とても札幌とは思えないような混み具合だった。私まで駆り出すほどだもの。中高年が圧倒的に多かった。いや、人を見に行ったわけではないけれど。
狩野派の洛中洛外図屏風とかを眺めてたら、近くにいたおばさまが、「狩野さん云々」とお話になっていたので、友達か、と心の中でつっこんでおいた。人を見聞きする方が楽しいかもしれない。
 
琳派の爛熟。とかいうコーナーもあったのだけれど、私は歴史を分からない。
室町時代と鎌倉時代のどちらが昔か分からない。それは清澄白河なのか白河清澄なのか、由来を知らない私にはなかなか覚えられないことと似てるかもしれない。

つまるところ、私には美術や工芸、あるいは音楽にしても、それらを楽しむ基本的な教養が欠けているのだった。時代背景や流れを知っていた方が、ものごとの腑に落ちる感や味わいに深さや広がりが出るのだろうと思う。
 
ちょっと情けなくなった。
 
それでも大学受験のときは社会科では日本史を選択した。日本史の先生は驚いていたけど、実は世界史の方がもっと分からないからだ。私はチグリス・ユーフラテス川から一向に先へ進めなかった。おまけに地理はことのほか苦手だった。ボーキサイトが何なのか想像すらつかないのに輸出国とかわかりっこない。
でも、地理に関しては旅行するようになってからグーグルマップを執拗に見続けたため、都道府県は全部場所とともに覚えることができたし、眠れない時に23区を考えていたからそれも覚えた。位置関係は知らない。
 
まあとにかく、私は情けないのだった。
  
私は死ぬまでに「教養あるご婦人」になれるだろうか。こういう時、例えば誰それのような、と思いつかないところがすごい。こういうの、ロールモデルがないっていうのかな。
で、教養ある老女になった暁に、どうするかというと、教養ある老女の死を迎えるだけなんでございます。