角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

そんなことをされても。

 

さて、今朝私が新しい部屋で目をさますと外は相当な雪降りであった。雪の隙間がキラと光り、雷も鳴ったのだった。
 
ていうか、うわあ。
前置きの後で叫ぶのもおかしいけれど、とりあえず、うわあああ。どうにかなりそうだ。どうかしている私がどうにかなったらどうなるんだろう。


私には泣きどころがある。私を痛めつけるスポットが。実は私は極めておおざっぱで鈍感でいい加減な人間だけれど、極めて狭い部分で神経質なところがある。

越した先で初めてお風呂に入ったのだけれど、浴槽の水栓を抜いたら排水口からあふれてきた。
かつ、かすかにかすかに臭うのだ。私は鼻がきく。

水回りのトラブルに私はものすごく弱い。もう風船の空気をぬかれた感じ。

これは本当にたえがたい苦痛だ。見えない部分での困った感と、見えないから根本原因が分からない不安感と、におい。そのうえ、キッチンの水量が水もお湯も少ない。

私は、迸る水量でなければ、つらいのだ。別に水しぶきを上げて野菜や茶わんを洗うわけではないけれど、蛇口全開にしてなお足りないという状況は雪国のくせにだらしない。
私が蝋燭ならば、今にも消えそうになっているに違いない。もう、最後の藁待ち状態の駱駝だ。うわああ。
 
今どきは傾聴ボランティアというのがあるそうだけれど、つらつらと水回りの悲しい話を聞いていただきたいものだ。
 
何がそんなに不安なのかというと、前住居に越したばかりのときも、お風呂場トラブルに見舞われた。最初に見に来た業者が管理会社の紹介にもかかわらずいい加減ででたらめだった。要するに、この不安は、信用できる人を探しにくい不安なのだ。なんだか分からないことを言われて、分からないままに、お金だけが出て行くというのは、やりきれない。けれど、どうしてもどんなことをしても何とか解決したいものが水回りのトラブルだ。誰だってきっとそうに違いない。
 
こわくてたまらない。だから私はきっと水不足のところには行けないし、水道があったりなかったりする新興国にも行けないと思う。そういう逞しさは残念ながら私には全くない。

明日の朝、目が覚めなければいいな。
  
それでタイトルの話はまた別なのだけれど、それはまたいつか。