角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

さくらうそぶく。

 

冬用の掛け布団を新調しようと長い時間をamazonで費やしたけれど、選べずに断念。来季に仕切りなおして購入することにした。
なぜ選べなかったかというと、レビューを信用できないからだ。レビュー探偵などというアプリも登場しているようだ。
布団ならば、ふかふかで厚さが良い、と、ペラッペラだったという相反するレビューがある。縫製がしっかりしている、かと思えば縫製が雑ですぐ綻んだというレビューがある。必ずしもサクラやヤラセレビューが良い方向だけとも限らないのでますます混乱する。
かつてamazonで商品を選ぶときは、レビューを読むのが大変好きだった。購入を判断する指標になった。レビューがしっかりしているからamazonで買物をしてきた経緯がある。それが最近はレビューの件のみならずなんだか使いにくい。検索機能もまずい。
 
かといって国内大手のサイトも使い勝手が悪い上に、レビューをくれたら割引だとか厚かましい文章が注文商品と一緒に入ってきたりする。
最悪なのは頻繁にリボ払いを勧められることだ。
 
私は今のところ注意深くショッピングを執り行っているけれど、判断力や読解力が落ちたころ、つい間違ってリボ払いをクリックしてしまうかもしれないではないか。

死んだら死んだで、生前未払いであったなどとでっちあげられて受信料を莫大に請求されたりするかもしれないではないか。私が極めて真面目に申告したりなんだりしているというのに、抗弁すらできなくなってから。

なんだか世間や世界がひとを騙す算段ばかりをはじめたようで気が気でない。

ひとを信頼できないというのは重度のストレスになる。自分しか信用しないというのも何だか因業な年寄りのようで嫌な年の取り方をしている気持ちになる。