角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

一体やかんはいつ買うのかと。

 

挽肉は、もともとそんなに購入しなかった。最近になってあれば便利かなと買うようになったのだけれど、この間のニラ餃子も、茄子餃子も、麻婆豆腐も、ハンバーグもどういうわけかあまり好ましくは思えなかった。
原因は挽肉だ。どうもスーパーの挽肉が美味しくない。それでネットで調べると、やはり同主旨の記事があり、今後の対策として私は、ミンサー購入を思いついた。よくも次々と思いつくものだと思うけれど、挽肉機というか肉挽機が欲しい。
  
手動のがいいのだけれど、amazonで見るとあまり性能的に芳しい評価が見られず、かといって毎日何キロも挽肉料理を食すわけではないのだから、電動のミンサーではおおごとすぎる。ましてや一人暮らしの身の上で。
電動式のものは音がうるさいので嫌っている。拙宅には以前マヨネーズ作りに使用していたフードプロセッサがあるのだけれど、騒音が嫌なのと、後始末に危険を感じるので使わなくなった。マヨネーズは美味しくできるけど、急いで使い切らないといけないのも煩わしい。何分独りなのでおおげさなものは不要なのだ。
 
贅沢はしないけれど、せっかく作るなら美味しいものを作りたいし。私は食に熱心な割に料理は上手ではない。丁寧に美麗なものを作ったりもしない。言ってしまえば、原材料が上質であれば塩だけで十分に美味しいと思う。調味料も良い物があればさらに美味しくなる。
 
レビューでは味噌作りの大豆を潰すのに大変効率的とのことなので、味噌は継続して作るつもりなので、ひとおもいに購入してみようか。さらに検討する。
 
高齢になると大抵は料理もあまりしなくなって出来合いのもので間に合わせるようになる理由を私は気づいていなかった。勿論体力的なこともあるだろうけれど、私の場合は自分の料理を食べてくれる人がいなくなって、ああそういうことかと気がついた。
 
食べてくれる人がいる幸せというのをもっと長い事堪能したかった。
 
 
ときに私は自分が孫の祖母としてなんだかろくでもない冷淡の人のように思えて、もっと「正気を失うほど」可愛いねアピールをした方がいいのだろうかと考えたりもする。でも、ふと逆を考えた。

私は祖母や祖父が近くにいたわけでもなく、可愛がられた思い出もなく、彼らの記憶自体もあまりなく、だからといって何か恨みに思ったりしているわけではなくて、要するに何も感情的なものがない状態なので、だったらそれでいいのではないかと考えた。
 
端的に言うと、私は彼らの家族ではないのだ。だから私は独りで一人分の挽肉を挽いてもぐもぐすればいいのだと思う。やっぱり買おうかな。