角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

絵が描けたら。

 
10月に前期の展示に行き、十五代楽吉左衛門の白暁という茶碗が好きだったと書いたけれど、11月の最終日に後期の展示に行くと、白暁もよかったけれど、雲雷後という茶碗もたいそう良いことに気がついた。
染織も好んで見るけれど、特に好きだったのが型染傘うちわ文着物という作品でややしばらく眺めていた。着物はなんとか現代のCG技術のようなもので、立体的に、つまり着た形がどんなふうになるかを是非とも見たいものだと思った。帯ひとつで表情も変わるので楽しいと思う。
で、その作家の芹沢けい(金偏に圭)介という人を知らなくて、調べると人間国宝の人だった。静岡市に美術館もあるようだ。心ひかれる作品に巡り合えるのは嬉しい。
 
 
話が前後するけれど、10月に行った永平寺には、福井駅前から京福バスにのって30分で到着する。そこから胡麻豆腐や擂粉木羊羹などのお土産屋さんが両脇に立ち並ぶ緩やかな坂道を歩いていく。あらかじめ、どなたかのブログで読んだとおり、本堂を通り過ぎて奥に進んだ。滝があると書いてあったので、滝まで歩こうとしたら、あっという間に着いてしまう。迸る小滝だ。
バス一台分の人数が一斉に坂道を歩いてきたはずなのに、他の方々はまっすぐ本堂に入ってしまったので、あたりに人がいなくなった。
緑が美しいので、せっかくだからさらに奥に進むと寂光苑とよばれる場所があって、道元禅師の少年像があったりする。
気持ちが良い場所なので、さらに奥に進もうかと考えたけれど、帰り道を迷ったりすると困ると思って躊躇していたら、ふもとの方角から年配女性がにこやかにやってきた。
手には何も持たず軽装であったので、どうやら地元の人のようで、どこからおいでなさったかとたずねられた。ここまで来られる方はなかなかいないと仰るので、あまりに気持ちの良い場所なので、いきなり本堂に入ってしまうのが勿体なくてここまで上がってきたと説明した。
そのあと私は本堂に向かって下り、女性は奥に進まれた。なかなか地元の人とお話しをする機会がないので、声掛けされたのが嬉しかった。日差しも暖かかった。
旅の余韻がすっかり過ぎたころに、思い出した。彼女は一体どこに向かわれたのだろうか。私が居たあたりは墓所のそばで、奥には何もないようなのだけれど。
 
 
さて、祝日でもない限り月火水木は休みなので、使い勝手が良くて満足している。今週の月曜日は早々と話題の映画「ボヘミアンラプソディ」を見に行く。クイーンが出てきたあたりを実は良く知らない。多分私はふざけたOLをしていて、ああその前にちょっと結婚をしたんだった。ごちゃごちゃしてて、洋楽から遠ざかっていた頃かもしれない。
映画は最高に良かった。としか感想できない。良く分からないけど、だらだら泣けた。うん、良く分からない。
 
 
拙宅近隣には病院がたくさんあって、病院の前をゆっくり歩いている男の人がいた。縦も横も大きな人だなあと思って、ずいぶんゆっくりなので追い越してから気がついたんだけど、泣いていた。携帯で話をしながら大泣きしていた。
信号待ちでちらりと振り返ったら、左手で携帯を耳にあて、右腕で顔をぬぐっていたから年恰好も分からなかった。
雪がちらついていて風も強かった。泣き声が聞こえなくなるようにと、すごい早さで私は歩いて図書館を目指した。
  
愛しい人が増えると悲しみも増える。私自身は線の一本も描けないけれど、その人の後ろ姿を絵画に描けるものならと思う。もはや実際とはかけ離れた色や形かもしれなくても、私にはイメージとして後ろ姿は存在する。もしかして鴨井玲のような人なら後ろ姿だけを描けるのかもしれない。身も世もない悲しみあるいは愛しさを。
 
以前にも大泣きする男の人を見たことがある。なんというか、代わりに悲しみを喰ってやろうか、というような気持ちになる。