角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

角度と線分の話

 

えーとその前にエプロン。調理というのは、実はそんなに夥しく衣服を汚すようなものではないし、油や醤油がはねたところで、適切に洗いさえすればなんとかなるものだ。どうにもならないのが、食材ではなくて漂白剤だと気付いた。ぽちっと一滴が衣服についただけで、色素自体が抜けてしまい、どうにもならなくなるのでエプロンは必須だ。
 
しかしながら、ちょうどよいエプロンというのが本当になかった。
輪をクビにかけるだけのタイプは見栄えがいいのだけれど、どうにも首や肩がとんでもなく凝ってしまう。

紐を肩にかけるタイプは幅が広いと動くたびに肩から紐がずり落ちてしまう。それを防ぐのに背中で両方の肩ひもをつないだ、いわゆるH型というのもあるけれど、これもフリーサイズや男女兼用とかで身体サイズに合わないと何の役にも立たない。

かたいキャンバス地のようなものや厚地のものは私には不要だ。フリルとか要らない。美しい花柄とかの高価なエプロンは漂白剤避けには勿体ない。

そうやって丁度良さを追求すると、泣きたいくらいに適切なものがなくて、ついに学童の家庭科実習用の短いタイプのかっぽうぎを購入してみた。背中はマジックテープで留めるようになっていて、楽で良いと思ったら前かがみになった時にマジックテープがビリリと外れたので、これもダメだった。
調理パートの時のような白衣にしようかと考えたけれど、一日中身に着けているものではないので、着けたり外したりが容易であることも必要条件なのだった。毎日のようにamazonを眺め、買っては捨てる愚かしさから脱却したいのだけれど。

やっぱり白衣かな、白衣は調理用も医療用もあるしと、医療用を見たときに目にとびこんできたのが、ショート丈の予防衣というものだった。エプロンにはSサイズなんてものはないけれど、これにはある。価格的にもリーズナブルだ。
私はやっと「ちょうどよさ」に巡り合えた。この次もこれにしようと思った。動いても肩が落ちたりしないし、ポケットの裏側は防水加工がしてあるようだ。ボタンで留めるので結んだ紐が邪魔になることもない。少しコスプレ感がある。
 
昔、母が、前掛けのようないかにも簡単なカタチのものであっても型紙の良し悪し、デザインのことだけれど、はあるものだと言っていたのを思い出す。それはもしかしたら羊羹作りの難しさのようなものかもしれないと勝手なことを思った。

エプロン周りに関し、大いに気が晴れた。
 
そして、この「買っては捨て」行動はエプロンだけではないので、そちらも一応の落ち着きをみたので気が向いたら次回にでも。
いや、勿体ないとか言ってられないのだ私にとっては。それに何万円も消費したわけじゃないので、その辺の分別はちゃんとある。バランスボールは三つある。経緯は前に書いた。
 
ものの「ちょうどよさ」というのは夢や理想のようなものであって、かつ具体的、物理的、形而下的なのだった。
 
ちょうどよさ、を熱烈に私は求めている。
  
 
歯医者に行って定期点検を無事に済ませたあと、デンマルクに。もはやこれは愛だ。
この前、ネットの記事でドトールの居心地の良さが言及されてたけど、私もドトールは大好きだ。もう新しいカフェとかに何の興味もないので、私はドトールとデンマルクだけでいいやと思う。コメダは遠いし混んでるし。

で、場所的にデンマルクに個人的地の利があるため、最近では6~7割方デンマルクによっている。一人用のテーブルと椅子を二つくっつけて、あなたと話がしたい、というようなことをぐじぐじと朝っぱらから考えていた。コーヒーも飲んだ。クイニーアマンを食べたいのだけれど、いつもないので、りんごのドーナツとか、ああ昨日はアップルパイにしたんだった。で、一人用のテーブルが丸いので、角度を考えるなら椅子だ。並列するとカウンターと変わらないし、対面だとテーブルをくっつけた意味がないから、45度だろうか、45度に親密感はあるだろうか。
もっと鋭角、30度ではどうか、いや、椅子と椅子の角度って意味が分かんない。
いったいどこの角度を私は言おうとしているんだろう。

昨日は自信満々で30度から40度だな、と一人合点したのに、何が「だな」なんだか、今日は全く意味が分からない。あれかな、円周上に椅子が内接でも外接でもいいけど、並ぶようにしたとき、それぞれの椅子の中心と円の中心を結ぶ線が作る角度のことかな、昨日考えたのは。
 
とてもきれいな歯に浮かれていたから、つまりそんなふうにして膝が少しお相手の方に向く形で、そんなにぴんと背筋は伸ばしてなくて、いつもよりほんの少し赤い口紅で、お話できたら楽しいだろうと夢想したのだった。角度を考えるのはすごく楽しかった。
 
私は私のしていることや思っていることがいつも必ず正しいこととは限らないのは知っていて、そのことで自分を少し嫌いになったりするけれど、そのたびに、良い人ぶりを発揮する自分ではなくて、あなたの方を選んできた。
あなたの方を選ぶたびに私は悪人になっていく気持ちがしたけれど、言い換えれば私は生きることを選んでいると言えなくもないと言い訳してみる。線は私の命を輪郭し包括するのだ。