角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

パート4。

 
学校給食の「完食指導」の記事を読んでて、思い出した。
小学校3年のときだけれど、30代独身の女の先生が担任で、なかなか贔屓の強い先生だった。私は面倒を起こさない子であり、ややこしいことを言わない子であったので先生は私を贔屓していたと思う。かたや活発で発言も多いミサオちゃんは先生に嫌われていたと思う。
 
当時、全部食べる指導が強くなされていて、私は食べ物の好き嫌いはなかったので、給食は完食した。
けれどミサオちゃんは感受性の強い子で、食べられないものが多かったのか遅かったのか分からないけれど、昼休みをつぶして食べ続けることが多かったように思う。先生にきつく言われたからだ。
 
男の子たちが周りで囃し立てたりするのでミサオちゃんはしばしばえずいて涙ぐみながら少しずつ食べ物を口に押し込んでいた。
それを見ていたレイコちゃんが少し笑った。
私はとても不思議だった。わざと落とすとか、ぶちまけるとか、逃走するとか、泣きわめくとかして場をしのげばいいのに、いつも陽気で少し早熟なところのあるミサオちゃんがどうして給食のときだけ言われっぱなしで変に頑張るのか分からなかった。
 
3年生の私は、これは先生のいじわるだろうと思っていたし、今もそう思う。
 
5年生になると、担任が変わって、年配の女の先生になった。この先生は、はっきりものをいい、豊かな感受性を持つミサオちゃんをとても気に入り、かたや、おとなしくて何を考えているんだか分からないような私を遠ざけがちだった。
ミサオちゃんは、給食で昼休みをつぶされることはなくなり、はつらつとした女の子になり、小学校最後の学芸会の劇の主役に抜擢された。
 
3年の時の担任の先生は、数年経って、自死なさったことを聞かされた。給食とは何の関係もないと思うけど。
小学生の私は、おとなしいことと感受性とは関係ないだろうなあと考えていた。
 
 
 
来月か再来月に孫がうまれるらしいのだけれど、もしも将来、学校に行きたくないと言い出したなら、行かなくていいと言おうと考えている。
前に、中川淳一郎って人が、小中学校の交友関係など、長い人生においては大して重要ではないと書いていて、とても同意した。交友関係ばかりか学校そのものもそうだろうと私は考えている。
たたかうことばかりでなく、愚かしいところから逃げるのも生き方の一つだ。
 
あっ。孫がうまれたらどうしたらいいんだろう。今現在、実感も湧かなければ、特に嬉しいわけでもないし、無責任な可愛がりかたもしないだろう、私は。でもある程度は孫フィーバーな感じを低いテンションなりに見せなければ、孫の両親に対して悪いかなと思っているので、複雑な思いを抱えたまま、性格が悪いので、私は土日と祝日を含むパートを希望して、その通りになった。
 
きのう、不用品の処分のために友人の便利屋さんがきたときに、孫誕生が楽しみだろうと聞かれて、咄嗟に、あらまほしき返答ができなくて、口ごもってしまったので、本当に自分がバカでなさけなくて申し訳ないと思った。