角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

くろみつ。

 

来週には、おおかたの造作が完了し、引き渡しになる。

それから今さら気がついても手遅れだけれど、オープンキッチンスタイルだった。私はカウンターで、隠れる場所がない。これはまずい。
  
それと、私は鍋ひとつ、皿一枚、買っていない。営業許可申請もまだだ。足もフィジカルな力もないというのは結構難儀するに違いない。どうなるのかなあ。
   
きのう、専門学校のときの担任の先生に、新任の日本料理の先生を紹介してもらい、お二方にメニュー案等を見ていただいた。担任は、若い頃自分の店を持っていたことがあるので不要になった調理器具をくれるといってくれた。
私が頼りにしていたM先生といい、新任の先生といい、そして蕎麦店の店長もそうだけれど、彼らは皆、雇われて仕事をしていた人たちで、ゼロから築いたわけではないので、私が知りたいことについて、あまり詳しくはない。担任の先生は西洋料理の店だったし。
 
でも、二人に揃って指摘されたことは、刺身がないと客単価がとれない、ということだ。やはりお造りは料理の華のようだ。正直困っている。
おすし屋さんだって、いちいち鮪を解体して冊取りするわけじゃないから、出来合いの冊を買ってきて切ればいいという話は分かるけれど、素人がぐずぐず切りつけて体温が移ったり、角が立ってない切り口を並べても汚らしいことこの上ないので、途方にくれている。
 
 
さて、刺身と限らず、明日から本気を出そうと思う。「今」からとはいかないのが私だ。そういう言い訳ばかりをして自分に甘かったつけはかならず回ってくるものだ。
 
 
私は、わらび餅の粉を実は隠し持っている。何に使うかといえばわらび餅を作る。本物のわらび粉は黒っぽい色で高価だけれど、私が所持しているのは甘藷澱粉のわらび粉だ。さっき黒糖を買ってきたので、黒蜜を作って、わらび餅にたっぷりかけて食べようと思う。そしてここ数か月のマイブームであるシリーズのドラマ動画をできるだけたくさん見ようと思う。
 
私のまぬけモラトリアムが終焉するにあたりレクイエムなのだ。
 
で、魚なんかを煮たり焼いたりするとき失敗をして、ぐずぐずこわれて魚の形をなくしてしまうことがあるけれど、私は無闇に優しくされたり励まされたりしてはいけないと思う。日経ビジネス語録に「反対が多ければ多いほど、やろうとしていることに価値がある。」とあったけれど、勿論それはものによりけりだし、独りで何かをすることが励ますに値するようなことかといえば、放火犯だって強盗だって、独りでするのだから、特に「単独」に優れたらしい意味なんかない。

私は今、優しくされたりするとこわれてしまう。
 
鼻の頭とかおでことかを、ひとの背中にちょっとだけくっつけて甘えたいと、ぼんやり思ったけど。