角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

命綱のありか。

 

ふと思い出して「Morning Island」などを聞いてみた。

ライブの帰りは雨が降っていて、買ったばかりの白いスニーカーで水たまりに突っ込んだりしながら走った。ともだちのむっちゃんと一緒だった。
「california shower」は、なんて爽快なんだろう。小娘の頃の良くも悪くも毎日飛び跳ねるような気分を思い出した。
 
 
「午前中にお届けする」と息子からメールが来て、うきうきしながら待ったのだけれど、良く考えたら今日は金曜。

仕事をやめたんだろうかと思えば、病院付き添いで半日休みとのこと。いまどきの人たちは、妊婦の定期検診に夫婦でいくのがデフォなんだろうか、そこらへんの事情は良く知らないし、うっかり余計なことを口走ってはいけないので「あらそぉ」としか言えない言わない。

まさかとは思うけれど立ち合い出産とかするんだろうか。これも聞けない聞かない。

私の時はひとりで検診に行ったし、入院の日もひとりで荷物を持って行った。分娩室には入室を固くお断りした。退院もひとりで荷物と新生児を抱えて帰った。親の世代とは環境も事情も違っているから、無痛分娩に決めたと聞かされてもやっぱり「あらそぉ」くらいしか私は反応しない。母子ともに安全で、痛みを軽減する方法があるのなら、それこそ進歩というものではないか。
 
 
仕事に行くときに、いつも見るホームレスの人がいる。地下通路は夜は施錠されるから解錠とともにどこからか地下におりてくるのだろう。いつも居たその人が居なくなった。夜間をどこで過ごすのかは知らないけれど、夜のあいだに掻き消すように居なくなったのだろうか。どこに行ったのか。
彼は私だったかもしれない。いや、私が彼だったかもしれないとそこを通るたびに私は思った。
九大の焼身事件は、もしかしたら息子が彼だったかもしれないと戦慄した。
転び方次第で、あるいはボタンのかけ違いのような些細なことで、ひとはそこにいる。

誰にだって、どんな可能性もあったし、あり続ける。あみだくじはまだもう少し続く。そんなことを小娘は思いつきもしなかった。雨にぬれたりして心からばかものだった日々はねじれてよじれて一体自分がどんな選択をして何を選ばなかったのかを考えるひまもなくあっという間に今に着いた。
だからそこにいるひとと私、あるいはこども、とそんなに大きく違ったりはしないものだと思う。
 
それからKind of blueを聞いた。
 
マイルス・デイビスの言葉だそうだけれど、「練習ってやつは、祈りを捧げるようなものだ。 一週間に一回とか 一か月に一回というわけにはいかない。 」って。私は、自分のこどもにこれを伝えたいのだけれど、きっと言いたいことは伝わらない。あの子は少し舞い上がっているようなのだけれど、よく考えると、命が誕生することに舞い上がって、それのどこがいけないのかという気もする。so what。