角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

いつのまにかの夏。

 

7月に絶好の梅干し日和が数日続いたきりで、夏は去っていた。9月10月は豊穣の季節だというのに、コンビニやスーパーの未だ充足しない棚を見ると気がめいる。うんざりするくらい寂しいと思った。肉も豆腐も野菜もヨーグルトも並んでいるのに、一体何に不足感を覚えているのかというと、暗いのだ。まちなかが暗いのだった。店内の暗さ、地下街の暗さに閉口する。光のないところに追いやられた気がした。
 
市のサイトは緊急時暫定版と通常版とダブルトップページになっていて、市民にあてた市長のコメントが載っているけれど、道のサイトに知事のコメントのようなものは皆無だ。どなたかのブログでも見かけたけれど、知事の意思や言葉が報道されないことに違和感を感じるとあった。私も感じる。そもそも知事は根っからの道民ではないので、印象なりに、愛着も薄いのかもしれない。
 
道民、というのは私は良く分からないものの、少なくとも札幌の人は低カロリーな感じがする。私も含めて。それでもやはり私たちは、少なからず心に痛みを感じ、溶けない雪のように痛みは棲みついたはずだ。せめて光を。
 
 
職場が不安なので夕方に行って、同僚の人と情報交換。午前中に社長からメールがきて、前月の作業時間が多いが身体は大丈夫か、大丈夫でなければ本店の人間と交代する、と言ってきた。これは私の身体の話が本筋ではないと思い、そっこーで電話し、理由を説明した。時間を引き延ばして時給を得ようとするような人間と誤解されるのは嫌だし、作業の遅い人間だとも自分では考えていないので、それも嫌だ。

時間が伸びた理由は2つある。それを説明すると理解したようだけれど、所詮は給料を出し渋るのが本心であれば、途中で切られることも想定。まあいいかなと思う。私も含め他の人にも給料不払いが生じた場合は迷わずためらわず行動する。実のところ私自身はどうでもいいやと面倒くさがって考えてしまうけれど。
 
昨日、知人の便利屋さんが気遣いの電話をくれた。なんにせよ、私を忘れずにいて気遣ってくれるひとというのは本当に有難い。
そういうひとたちの存在がなければ、いかに私といえども生きていけないのではないかと思った。
彼は停電の時、27階にひとりで住むおばあちゃんのために食糧を届けたと言った。食糧はどこにも売っていないので自宅にあった食糧を持参しお裾分けしたとのこと、27階をのぼるのは登山のようであり、本当に大変だったそうだ。
この人の凄さには頭が下がる。
 
私もあとほんの少しだけでいいから、いい人間だったらいいのに。