角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

疾く。

 

江別の図書館に行くには交通費が結構かかる、といっても買うよりは安価だけれど、しばしば通うにはやはり遠すぎるので、今日は返却しただけで、新たな貸し出しを受けなかった。ブックオフに寄って4冊購入した。
 
買ってばかりもいられないので、今度は大学の図書館にも行ってみようと考えた。一般貸出でも良いのだけれど、2冊しか借りられないことと、利用票を作るのに顔写真が要るのは面倒なので、卒業生貸出を受けようと思ったら、当たり前だけれど卒業証明を取り寄せなきゃならない。卒業証書とかは捨てているので。
 
事務方のサイトをのぞくと、どうやら2年か3年に一度の頻度で同窓会が開催されているようだ。これは驚きだ。その年によって開催地は各地にわたるけれど、アクセスの良い都市での開催回には、同期の女性が2名も出席していて本当にびっくりした。
 
いちいち何をそんなに驚いているのかというと、私は、大学時代のことを思い出したりしないし、まるで別世界のことのようだ。連絡をとりあっている人もいない。遊びほうけていた割には、そんなに楽しくなかった。
あまり書きたくないけれど、自分の学部は好きで入ったわけではなくて、学部の偏差値が低かったから、落ちないだろうと、受けただけなので、特別な愛着を持っていない。途中から地方都市への学部移行があったために親元を離れたのは嬉しかった。
本州からきた学生たちは総じて利に敏いというか小賢しい人たちが多く、我々道民には時にそういう要領の良さは意地の悪さと映ることがあった。県民性というのは馬鹿にできないものだ。今でもそう思う。 
そんなわけで仲間たりえなかった。上に書いた同窓会参加の2名の女性とは仲が良かった。なにしろ同じアパートに、それぞれ6畳一間を借りていたのだし、オールナイトニッポンを聞きながら朝まで話し込んだこともある。そのうち私だけが別なアパートに居ついてあまり帰宅しないようになった。
 
卒業して就職してみんな結婚して本州に行ってしまうと連絡は途絶えてそれきりになった。彼女たちは部活も一緒だったのでずっと連絡を絶やさなかったのかもしれない。私がハブられたわけではないし、人間関係を継続できないのは私の悪しき性質だ。
 
一瞬、懐かしく、それでなぜ私に連絡がこないのかと考えたら、私は行方不明になりがちなのだ。そのせいで会費を払った覚えもあまりない。彼女たちにしても昔は、本当に遠い昔になってしまったけれど、昔はまめに同窓会に連絡するようなタイプではなかったのだけれど、やはりそういう年齢になったのかとしみじみした。
事務局に入金して音信不通から復活すれば、いかようにも連絡をつけられるし、なんなら会いにも行けるけれど、さて、会ってどうする。何を話す。できればなかったことにしたい学生時代を無理やり懐かしんでどうするのだ。私はもしかしたら今以上にバカだった。真剣味も何もあったもんじゃなくて、ただぼんやりと生きているだけだった。それで私はそのことをとても恥ずかしいと思っているけれど、今だってただぼんやりと生きているだけなので、人はそんなに変わらない。
 
それにしたって、人間関係を継続できないというのは、私がひとを大切にしないからだと思っていたけれど、本当は違う。
誰も私を大切に思ったりはしなかった、ということなんだろう。