角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

忘れようとしていることと、逃れようとしていること。

 

何の前触れも心当たりもなく、いきなり人生からなくなってしまうモノがある。
私はフライ返しを失った。フライ返しとは、ターナーとも呼ばれ、おたまや泡だて器の類の調理器具のひとつだ。これをほぼ毎日使い、洗ったあとにフックにかけて乾燥させ、その後ひきだしにしまうのがルーティンだ。私は数日前にいつもと同じように行動し、数日前の翌朝にひきだしから取り出そうとすると、なかった。
 
小さなものならゴミに紛れてうっかり捨ててしまうことも考えられるのだけれど、あのカタチはゴミ親和性が低いから、とてもそんなことは考えられない。もしそうだったとしてもゴミ袋の口を閉じるときには必ずや気がつくはずだ。毎日一定の動作しかしないから、置き場所を間違ったとも考えにくいし、拙宅にそんなに置き場所はない。
それから1週間が経ってもどこに行ってしまったのか皆目分からない。
  
それで私は忘れようとしている。新しいのを100均で調達してこよう。いついつまでも探し続けて、仮に怪しいところから出現したりすると、それもまた非常に怖いことだと思う。私の終わりが始まったのではないかと心底ぞっとするだろうと思うし、見つからない今ですら何となく私、はじまったかな、とぼんやり思うのだ。そうではないことを私は証明できない。
 
だから忘れようというよりも、是非忘れてしまいたいのだけれど、ほぼ毎日、フライ返しを使うシーンで必ず思い出すので、だから早く100均に行く方がいいのだけれど、もしかして「あらまあこんなところに、そういえば」という展開があるかもしれないとぐずぐずしている。
 
逃れようとしているのは、ぎゃら社の彼女だ。
何度も何度もスマホが鳴るのだけれど、鬱陶しさが先に立って私は呼び出しに応ずることができないでいる。
話をすれば話ははずむのだけれど、いつも話し終わったあとに何らかの仕事をしなきゃならないはめになるのが嫌でたまらない。私は結構きっぱりと断る方だ。きっぱりはっきりお断りするにもかかわらず、非凡な押しの強さと追い込みで最終的にしぶしぶと引き受けざるを得なくなるパターン。それで放って置いたらメールが入っていて、ぐちゃぐちゃするので、これまたどうしようかと思案中。
 
いわゆるブロックをしようかと思ったのだけれど、相手がストーカーだとか犯罪めく人物でない限り、人としてそういうことはしてはいけないような気がしてできない。そういう手段をとるのは自分の至らなさではないかと思ってしまう。もちろん、必ずや逃げなくてはいけない場合があることは認識しているけれど。
なぜ急に連絡がとれなくなるのかということを、極めて優しいことばで言われているけれど、もともと自分から連絡したことはない。友人として信頼しきれないし、仕事の考え方を尊敬できないから、私の方は二度と、少なくとも、ぎゃら社をたたんでしまうまでは連絡を交わす気持ちがない。
 
それをきちんと説明する能力が自分にあるかといえば、自信がない。それでもそういうたぐいの話に返信しないでいるのは自分としては誠意に欠ける気もする。何とかしなきゃと思いつつ何日も経った。
 
ちょっと待ってプレイバック♪(笑)
 
これって私も誰かに似たような鬱陶しさをもたらしてはいないだろうか。実に面倒くさくて邪魔くさくて煩わしいのは私ではないのか。

だからフライ返しを失うのだ。