角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

どこかで流れる。

 

大通公園で通年でラジオ体操をやっているのを知ったので、たまに参加している。6時30からはじまるので5時起きして、6時10分にでるとちょうどいい。往復でウォーキングも兼ね、一石二鳥だと思った。でも昨日は雨っぽい朝だったので行かず。本日は起きられず間に合わず。冬はきっと行かないんだろうなと思うけれど、行っても行かなくても出席をとったりしないし誰一人知らないので楽でいい。
 
今日は朝のゴミ出し以外は一歩も外の風にあたらなかった。昨日のプールで少し疲れたからそうやって折り合いをつける必要がある。そのかわり、昼間にお風呂に入ってみた。こういうのが一人暮らしの醍醐味だ。
 
  
秋になって必ず作るのは、まず生筋子の醤油漬け。こちらは無事に今季終了。
それと、じゃがいもが出てくるのでコロッケを作る。今日は小さいのを8つ揚げた。息子が部屋違いで住んでいたときは、帰りの遅い彼のために、お弁当をドアノブにかけておくこともあったけれど、これから先はどんどん料理関係にも気合が入らなくなるだろう。
それにしても揚げたては殊の外おいしい。
 
あしたは仕事帰りのちょっとしたお楽しみを考えてみた。そういうのがあると、早朝仕事にも張合いができる、かもしれない。
 
と、まあこんな程度の日記を自分の備忘のために書こうと考えたけれど、こんなものを振り返って何がどうなるというわけでもないので、どうでもいいといえば全くどうでもいいのだ。
   
下駄が好きで、すり減った底が滑るようになったけれど、近くのコンビニに行くくらいは平気で履いている。少し散歩をしたら鼻緒の付け根のところで足が擦れて小さな傷になった。それで、弁解するわけじゃないけど、自分の飽きやすい性分はそういうのを予防するためでもあると気が付いた。何かに「ばっかり」とか夢中になると必ずや歪みや傷になる。
だから、ひとを好きでい続けたりすると、きっとどこかで血を流しているような気がする。どういうわけかどこかが痛むから、楽でいいよね、思われるほうは、だなんて嫌味のひとつも言いたくなるんだし。でも頼まれたわけでもないから、