角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

自転車は、

 

押して通行してください。というイラスト付きの注意書きが、大通公園の全出入口に掲出されているのだけれど、何十年も近隣住民の私は、ただの一度も自転車を押して歩く人を見たことがない。という理由であまり好きじゃないと思ったりする。自転車を、じゃなくて。
 
今年は殆どしていない早朝散歩を、今朝は気が向いて歩いてみた。自転車の親子が私を追い越し、公園に入ったところで、こどもが自転車を降りると、父親が振り向いた。恐らく小学校2、3年生の子は注意書きに気がついて自転車を押して歩こうとしたらしいが、父親は「営業中」でないから構わないのだ、早く来なさいと促した。たまたま今はビアガーデンの設営がある。
 
大通公園は大体いつもきれいに清掃されているけれど、その人たちとて、その「立場」にないし、かといってその場にいる誰もその「立場」ではないので、要は公園内の自転車通行は誰にも咎められたりしない。私も関わりたくはない。公園内は全面禁煙だ。これはほとんどクリアされているようだ。禁煙看板も各所にある。
そうすると自転車通行だけが専ら横行する事態になっており、横行し放題に無策なら、注意書きを掲出する意味がないんだと思った。アリバイ的に必要なら、歩行者優先とか低速厳守とかそんなんでいいのではないかと。
 
歩いていて急にジグザグ歩行をしたくなった時とか、隠し持っていたボールを取り出してドリブルの練習がしたくなった時とかのために、自転車の通らない空間を私は必要としている。いつもどこでも自転車乗りの人は自転車が車両であることをご存知ないか、無視しているように適当な乗り方をして、信号のわたり方も違っている人が多い。あちこち思わぬところから自転車が飛び出してきて剣呑な思いをすることが良くあるから、自転車に気を遣わなくていい空間は貴重だ。 
 
でも良く考えると公園とはなんなのだろうと思った。いちいち検索はしていないけれど、公園にも性格・性質があって使用目的があるのではないか、自転車通行がだめならキャッチボールはいいのか、サッカー練習はいいのかと考えると一体私は公園で何をすべきか、すべきでないのか、べき論は要らないけど、ぼんやり考える。中国みたいに、夜中に近隣住民総出で踊るというのも騒々しくてたまらないだろうし、そうすると花火もだめなんだろう。
 
暗黙のうちに空気を読んでバランスをとって弁えろということなのか。それはそれで結構だけれど、そうすると今度は、サッカーボールで遊びたいときどこに行けばいいのか、花火はどこだったら思う存分できるのか、どこでなら私たちは夜通し踊りまくれるのか、ということにもなる。
 
夜は寝るベシとベシが言っていたけど、昔も書いたように、私がベシをずっとネズミだと勘違いしていたことは別に今書かなくてもいいことだけれど、眠れもせず踊りもしない夜が私の日々の夜だ。