角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ビスマルクも暑い。

 

お暑うございます。
それでもまだ清々しい早朝に、仕事に通うのは悪くない気持ちだ。
職場はほぼ一年中暑い。フライヤーとスチコンがフル稼働する。特にこの季節は手自体が汗ばんで、おにぎり作業時に大量に消費するビニール手袋がいちいち装着できにくく作業効率が落ちる気がする。
 
いつもより90分余計に作業をして帰宅すると、とるものとりあえず、食事をする力もなく、それでもお風呂に入ってから倒れるように昼寝を。とにかく眠って体力回復を図る。2時間くらい文字通り寝込んだのだけれど、夕方目が醒めても一向に疲労感は抜けず、案の定今朝は8時近くまで起き上がれなかった。大寝坊だ。
 
作業中はテンションが上がっているので、まだまだ大丈夫と思っても、我に返ると、とんでもなくぐったりする。
7時間立ち通しで働くなんていうのは、年齢的に過剰に違いない。それでも喉元を過ぎると忘れてしまい、だらだら通って1年が経った。この私が1年もパート勤めをするなんて奇跡のようだ。私、えらい。
しかし、年内いっぱいで辞めようと考えている。まだ言わないでいるのは、もし9月や10月や11月に急に辞めたくなった場合に困ってしまうからだ。
 
疲労感があるにせよ、暑いとはいえ、食欲が基本的には衰えないのが私だ。
アスパラをビスマルク仕立てで食べようと思った。何のことはない、目玉焼きをのせる事なんだけど、せっかくだから目玉焼きよりは温玉の方がとろり感があっていいと考え、いつものやり方で作る。ところが外気温が高いとお湯の冷め具合も冬とは違い、あろうことかアスパラの上で卵を割ってみればゆで卵なのだった。これはこれは。
アスパラの上にゆで卵をのっけたって、面白くも可笑しくもないのだった。残念至極だ。普通に目玉焼きにすれば良かったと結構しつこく残念がった。
 
さて、目玉焼きというのは悲しい食べ物だと思い続けてきた。ずっとだ。
悲しくて儚いから目に飽きないのだ。魅力なのだ。たかだか1個20円程度の卵がかくも悲しい事情というのは、黄身だ。
黄身の流出を完璧に防ぐことができないことで、いつも目玉焼きというのは、期待の半分は皿に流れて儚い食べ物だ。
固く焼いてしまったのはもはや目玉焼きとしての矜持を捨てているかに思えるし、皿をトーストのかけらで拭ったところで、違うのだ。ご飯に全部をのせてから黄身を崩しても、それもなんだか違うのだ。そうやって今ひとつのところで私のものにならない感じがとても寂しい。その無駄のためにいよいよ魅力的だと思う。

私には初めての経験だったけれど、先日目玉焼きを2つ焼いたら1個がふたごで、3つの目玉焼きができてしまい、3つでは多いのだった。多くても美味しく食べたけど。
 
針供養の日があるのに鶏の日は、できないのだろうかと言うと、牛の日も豚の日も、とか言うので、そういうセンスはあまり好きではないと思ったけど黙っていた。
 
もし生まれ変わって、卵を産む鶏になったら、どんなに嫌だろうかと思う。無理やり高栄養な餌と健康生活を強いられたりして、走り回っては卵を毎日たくさん産む、だなんて嫌だなあ。
でも、雄鶏になって若いうちにブロイラー入りするとか、それもまた嫌だ。