角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

今と同じになる。

 

エゾリスと目が合って、特に気にした風でもなく、私を横切っていった。かたわらの池のほとりには少し大きくなった鴨の雛たちが日向ぼっこをしていて、もちろん写真はたくさん撮ったのだけれど、自分の腕の悪さはどうしようもなく。
 
 
もうずいぶん前のことのような気がするけれど、3月の旅行で金沢に立ち寄った際に、県立美術館にも行った。ここは大変良かった。なにしろ来館者がきわめて少なく、好きなように好きなだけ見て回ることができた。展示室がたくさんあって内容も多岐にわたり、普通の顔をして見ていてもいいので、とても楽しいのだった。入ってすぐに鳥の形をした国宝の香炉か何かがあった。
 
何番目かの展示室で、奥に一歩入るとバーンという感じで大きな鴨井玲のあの作品がかかっており、これはもう大変に嬉しく驚いたものだ。ここの美術館にあることを私は覚えていなかったので、そりゃもうびっくりした。「1982年 私」というタイトルなのを知らなかった。
 
島根の県立美術館に行ったのもずいぶん前になるけれど、これからの旅というのは、再訪の旅になるかもしれない。そんなにあちこちには行ってないけれど、全国津々浦々を網羅したいなどとは全く考えていないのだし。私は山陰地方が特に好きだけれど、山陽地方は実は倉敷しか行ったことがないので、裏と表の均衡をとることも重要かと考える。次の旅はいつになるんだろうと考えることと、いつまで仕事を続けられるだろうということは同義だ。いつになることやら。
 
昨日は雨だったので、とてもバカバカしいシミュレーションをして遊んだ。
前に巨億の資産があったら奨学金事業をしたいと書いたけれど、今回は違う。私は宝くじを買わないので、当選金額がいくらなのか詳しく知らないけれど、とりあえず、2億円が降って湧いたとすると残り余生の経済不安は全く払拭されるので、そこで、自分が何をしたいのか、どう過ごしたいのかを考えてみる。
 
計算しやすいようにあと40年の寿命と考えると単純計算で年に500万円を消費しなければならず、それはちょっと多くて使いきれないのが面倒だと思った。
なので、まずは南向きのところに越す。あとは、温室で植物を育てたい。野菜、果物を作りたい。水田と酪農まではのぞまない。
 
ときどきプールに通って、ときどき映画をみて、本を読んで、そして好きな時に旅行して美術館を巡る。宝飾品などは着けないので不要だし、衣服関係も、実は私服の制服化に憧れているので、上質の定番だけでいいような気がする。靴も鞄も使うものは限られるだろう。
 
それから、その先は、もうない。私はそれで十二分に幸福だ。
 
でも良く考えると今だって観葉植物はおかげさまで育っているし、ときどきプールにもいけば映画も見る。本は図書館のを借りて読むから、私は自分のしたい生き方を大雑把に具現化できているようなので、なかなか良い出来なのではないかと思った。
だとすると何一つ不安に思うことなんかないのかもしれない。もし潤沢な経済力があったなら、今度はそれを失うかもしれない不安に苛まれるのではないか。人はそういうふうにできているのではないか。
 
あまり、そういうことを強調すると、逆に負け惜しみのようないやらしさが感じられるので、もし降って湧くんなら、消費することにやぶさかではありません。
 
あ、それから今私がとても気に入っているのはQBハウスなので、お金持ちになっても通う。今やってる、ちょっとした勉強も続ける。
 
きっと私はモノやコトでなく、形にならない自分自身のコンテンツの方が大事だと思っているし、その中でしか出会えない人がいる、ということだ。
 
やっぱりも少し利口感が欲しい。利口な人はこんなバカなことを考えたりしないかもしれない。