角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

梅を仕込んだ。

 

なぜ昨年が初めてだったかは昨年書いたと思うので、さて、それで今年は2回目の梅干し作りとなる。
大きな南高梅ではなくて、もう少し小ぶりのが欲しかったので白加賀を買えるサイトで予約をしていたら、発送日になってから熟度も数量も足らず、送れないと言ってきたので、たいそうがっかりした。ツーハンだし、顔が見えないし、少量の客だし、みたいな感じで易々と「送れない」とか、ちょっとどうかと思ったし、第一すでにどこのサイトも時期的に予約完売しており、今年はあきらめざるをえないかと考えていたら、スーパーにあったので、購入して漬けた。

3、4日くらいで十分に梅酢があがり、いい感じになっている。あとは7月か8月の好天続きを待つばかりなので気が長い話だ。長い時間を待つだけの美味しさがあるので、来年は確からしいサイトから量も多めに購入しようと思う。梅干しと味噌は毎年の仕事にしたいものだ。
傷みのきている梅は別にシロップにした。シロップができたら朝の紅茶に垂らして飲もうと考えている。
 
絶対白米とか、ごはんと味噌汁とか、ずっとこだわってきたけれど、恐らく一定の年齢を超えたころからだと思うけど唐突な感じで転換してしまった。ほとんどの朝はトーストと紅茶になった。白米には麦などを混入させることになった。長く暮らしていると飽きがくるものかと我ながら驚いたことだ。
 
朝はバタートースト1枚にジャムをつけ、ガラスの急須で紅茶を淹れるから1.5杯くらいはたっぷりといただく。頻繁にパン食をするようになってからもジャムを購入したことがなく、専ら自家製のジャム、ママレードを使う。季節の旬の果物をとりどりに使用するのが楽しみだ。
 
週一の食材宅配も長いこと続けたけれど、良く考えると時間がないわけではなく、まだ十分に歩けるので、これはやめた。それでわりと頻繁に食材購入に出かけるけれど、先日は、かなり新鮮な鯵がとても安かったので思わず購入。新鮮な鯵は良い香りがする。いちばに買物にいく楽しさはこれだ。宅配をやめてから不便といえば不便もあるけれど、瞬発的な買物は宅配では叶えられない。
 
鯵は三枚におろしてから腹骨をすいて、小骨は骨抜きで抜く。それから薄い皮を剥いてやっと食卓に出せる。私はフライにしてサクサクしたけれど。
 

そういう生活が本当に嬉しい。と思えるのは、多分、私にも朝起きて行くところができたからだ。きいたふうな口をきくと「社会とコミットできている」からだろう。行くところは、契約上行かなくてはならないところであり、ねばならない感を嫌う気持ちは常に背中合わせにあるとはいえ。
 
蔓延の度合いというのは言い換えると占有度だ。社会や生命の成り立ちや成り立たなさもそういう摂理かもしれないと考えている。しつこく言うけれど、正しいから占有するわけでもなければ、美しいから蔓延するものでもなく、賢いから勝利するわけでもなく、世界は混沌とし続けるんだろう。
 
自分の小さな生活だっていつどんなバランス転換が起こるか分からないけど、それはもう流れに逆らったりしないで生きたり生きなかったりするやり方で私はいいと思うんだけど、どうなのかな。