角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

陽の目。

 
決まっちゃったみたい。不動産社の人が見に来て、その時に契約したことは昨日書いたけど、その翌日にはもうホームページ上に情報公開し、近隣ポスティングをしたらしい。そしたらすぐにレスポンスがあって、本日内覧に来られて、買う気満々のご様子で、あとは借入算段を銀行と確認するのみとのこと。借り入れができなければ無効になるけど、それにしても早い。偶然が重なってラッキーな展開に、今のところなっている。こういうのも私の運の強さなんだろう。
 
まる6年経っているのに、購入価額よりも、少しだけ高く売れたことに驚いた。欲張ってはいけないので、もし値引き要請があれば値引きしようと思う。
 
今日は陽がさしこんでとても暖かく美しかったので、誰だって、これを見たら好きになるに違いない。私はむしろ少しどんよりしてしまって、この部屋をどれほど好きだったか、どんなにこの部屋で幸福だったかを考えていた。この地では南向きというのは本当に宝物だ。沖縄に行った時は、マンションの広告が「北向き」をアピールしていたので、地域差が面白くて笑ったことがある。
 
素敵な朝顔も、私が咲かせたのではなくて、太陽が咲かせてくれたのだ。今度の部屋は西向きなので、鉢物が大丈夫かどうかそれだけが心配だ。狭くなるのでもう増やせないかもしれない。引っ越しは来春までになんとかしよう。今までありがとうの気持ちをこめて丁寧な掃除をたくさんしようと思う。気持ちだけは清掃意欲に満ちている。
 
人のステージはなかなかいつまでも同じという具合にはいかなくて、すでに私は、何かを購入したり集めたりという自我拡大の時期は終わり、切り捨て、そぎ落としの時期に入っている。
 
職場のホームは、65歳以上でそこそこ健常な人が入居対象だ。居室は6畳一間なので、荷物は極限られたものしか持ちこめない。食事を摂らない日が少し続くと、次は入院、というパターンが多い。入院先から復帰できるのは、単純な怪我や軽度の病気の人だ。そのまま病院に居続けることになるか、あるいは別なタイプのホームに転居するか、いずれ紡錘形の先端にいる。そして入居者の誰もが、誰かが減っていることに気付かずにはいられない。
 

移動の度に手持ち荷物は減っていくことになる。服が要らなくなったり、靴が要らなくなったりもする。
 
病室の母から、冬靴を持ってきておいてと頼まれたけれど、母はあれから一度も外の土を踏むことがなかった。日常生活に靴が要らなくなることを私はまだ理屈でしか分かっていない。
 
私は午後からなんだかゆっくり考え事をしたくて、りたる珈琲に行って、りたるブレンドを飲んだ。私にはまだ靴が必要で良かったと思った。日々の珠玉のような時間を野放図に費やしていることに私は少し恐怖する。りたるブレンドはカップを手にしたときの一番目の香りがものすごくたまらなくいい。そして、あなたはなぁんにもわかっちゃいないんだと熱いコーヒーを啜りながら思う。
 
例えば、私なら、あなたのいない世界に生きるのはいやだから、私より後に、もっとたっぷり太陽を見てからおいでなさいと願う。けれど私が順当に終了するときには、明日の風に吹かれることのできるあなたを心から妬ましく思うだろう。そういうきりのない撚りのすきまからヒトの寂しさは生まれてくるのかもしれない。
りたるブレンドは不思議なことにすっかり冷めても熱烈に美味しい。私は冬の散歩も好きだ。