角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ひも生活。


ランドセルを背負った坊やのイラストがあって、「ルーターがかしこいハブならボクはかしこいランドセルなの?」と吹き出しに書いてあった。
二宮金次郎の像の脇には「私は賢い薪なのか?」とも書いてあって、ちがうものなんだ、ということは激しく理解した。
 
自分ちにあるのが何なのか、もう何回も、そういう事態の都度調べているはずなのだが、覚える気がないので一向に覚えもしなければ理解もしない。
 
解散した会社で3桁近い現金で買った大型複合機を私が残債もろとも引き受けた。
それを1桁で売却した。
巷間では二束三文な価格で動いていると聞かされていたので、ものの値段というのは、そういうものなんだと思うから、長い目で見ると得なのか損なのか、ちょっと自分では考えられないけど、欲しいというから売った。
 
けれど今までのFAXもスキャナーもプリンタも、もうかなり老朽化しているので、売却価格程度の家庭用複合機を購入し、それが昨日届いたので、試験勉強の合間に、セットしようとした。今ココ。
 
けれど、自分には難易度が高すぎて、無理。私にできるのはせいぜい単機能の周辺機器を接続することだけだ。私は何度もしつこく書くけど、懐中電灯の電池を取り換えるのも嫌いなのだ。嫌いなので、覚える気持ちなんかさらさらなくてここまで来た。アプリケーションなら、使えるようになるし、仕事最中の不測の事態を全部自分で切り抜けてきたのは大きな自信になってるけれど、モニターから先は全く分からない。
 
大きな箱やら緩衝材に埋もれて、すっかりげんなりしている。
 
パソコンはもちろんプリンタだのスキャナーだのと一生縁の切れない生活があるのかと思うと、うんざりする。何が嫌いといって、名前のわからない紐類だの接続部品らが本当に嫌だ。溢れかえっているにもかかわらず、似たようなものだからといって代替することもなく、しかもちょうど良い長さであることすらなく、たいていはちょっと短くて機器を移動させなきゃならなかったり、あるいは無駄に長くてもてあましたりする。
 
自分も見えないひもで接続されているか、あるいはトンデモモバイルだ。パソコンは私がいなくても平気だけれど、私はパソコンがなければきっと死んでしまう。私はエラーばかり頻発するろくでもない周辺機器なのだ。
 
部屋も片付かなければ、勉強もできなくて、ご飯を食べる気にもならない。
 
事務所であれ自宅であれ「機器感」のある生活が当たり前だったから、もしかしたらもうすでに買わなくて良くなったエクイップメント(笑)を購入したかもしれない。
 
実はもっと凄いことがあって。
 
大型複合機のカウンタ契約を義理で結んでいたけど、義理というのは、なんだかここまでの経緯がメーカーの人に申し訳ない気がしていたので、きちんと契約を交わした。蛇足ながら書いておくと、必ずしもカウンタ契約は要らない。
 
カウンタ料金というのは、月間の想定使用枚数によって、金額を交渉するけれど、月にほんの少ししか使用しないというと、それじゃあ定価契約でという話になった。定価契約というのは、べらぼうに高い。ところが年明けから仕事があり、カラーコピーもプリントも、かなり使い、使用料金がありえないくらいになった。家庭用複合機2台買ってあまりある金額。
 
まあ、世の中的には、こんなもんなんだろうと思う。おんぶにだっこ、ではなくて泣きっ面に悪魔が来たりて笛を吹くようなものだ。

その後、一桁で売却したというのは上に書いた通り。

世界は公平でなく公正でなく平等でなく同割でなく比例でなく。かくなる上は昼寝か昼風呂だ。
 
 
 
ちょっと暗い(笑)んで、気を取り直して。
 
えーと、2日続けてオムレツを食した。スクランブルを脱してやっとスタートについたところだけれど、汚らしいものをぶちまけたり、頭からかぶったりしていても(誇張ですけど)断念しないのは、いつか必ずできると分かっているからだ。私は多分随分遅いけれど、必ずいつかできるはずだと分かっている。紐生活を超えられるのは、できそこない周辺機器だけかもしれない。