角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

今日は年金氏とランチ。

 

7月に入っても天候はぐずついたままだ。曇天と小雨を繰り返す。
 
年金氏とランチ。食事会はどうしようかという話になって、隔月とかにこだわるのはやめて適当にしようということで決着した。2CELLOSを教えてもらい、youtubeで見ると大層良かった。
この人とは話は弾むのだけれど、全く色っぽいことにはならない。だから今すぐ彼が結婚したとしても何も感じないだろうと思った。あくまでも友達だ。当たり前だけれど、それ以外を全く望んでいないのでこのまま穏やかに年に数回会って話すくらいがちょうどいい。こういうのを茶飲み友達というのだろう。
 
深い話をしないので、だから、やはり何の相談ということもなく、そんな思い切りのいい人ははじめてだ、と私のことを言う。確かに私は、男以外では後を引かない。もし、もしも私があの人にとって、もう済んじゃった話なら、今までの数年間はなんだったんだろうと思う。そしてこれから先の空虚をどう過ごせばいいのかと思う。
 
 
店のことはもうあまり思い出さないと話したあとから、そういえばどうして私は自分が知りもしないお酒を置く店にしたんだろうと考えた。ごはん屋さんでも良かったのではないか、テイクアウトのお惣菜でも良かったのではないかと考えた。で、思い出したのは、当初の思いつき、発端の先端にはあの人がいたということだ。もちろん美味しいと自分が思うものを召し上がっていただければと考えたのは事実。そんな機会があるはずがなくても。
 
そして、それから、ここが最も重要で最大に愚かしいところなのだけれど、えーと、自分が飲み屋の女なら「一回の浮気くらいは。」と考えたのだった。相手が飲み屋の女なら。と。これは差別的言辞かもしれないけど、でもそんな浅はかすぎる考えのもとに進めていって、あるときあっと気がついたのは、そういう問題じゃないということだった。私はその時点ですっかり自分の年齢が頭から抜けていたので、これはおろかにもほどがあると驚いたことがあった。想像の世界を具現化したにせよ、設定がまるでめちゃめちゃだったのだから、そんなものは早晩崩れ落ちてしまうものだ。
  
恥ずかしいのでそんな妄想は二度と書かない。
 
後にも先にも私のきもちは「あなたがいる」ことで安定する。安定の反対は絶望だ。ひとは絶望しても多分生きていけるのだけれど、そういう人生に意義があるかどうか私はわからない。