角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

愚図(笑)。

 

えーと、どうでもいいことなんだけど、日記なのでだらだらしてみる。
 
カイシャの成り立ち方とか在り方とか、とても細かい事、例えば事務所のレイアウトみたいなことも含めて、ほとんどの面で私の考えとは、違っている。
だけど、私の考えなどは、なんぼのもんでもないし、会社ができるあたりは、私は春先の旅に出ていて、関わっていないから大きなことは言えない。
 
それでも、どんなに小さくはじまった会社であっても登記が済めば真っ当な会社だ。だから私は会社としての挨拶をとても重要視している。挨拶ができないのはイクナイのだ。
 
会社ができた時点では、例の影社長も参加する予定で、ところが実は影社長は過去の会社の倒産によって、身分的に新たに会社を興したりする行為を禁止されていて、そのせいで周囲に新会社設立をアピールすることはよそうとしたらしい。
 
けれど事情が変わり、影社長は当社の単なるサポーターになったのだけれど、それでも周囲にハガキもださなければ訪問もせず、時折噂に聞いた人々が連絡を寄越したり、来訪してくれるだけだった。事実上は、もちろん代理店情報網なので、くまなく知れ渡っているのだろうけど。
 
しかし、知られていることと、挨拶には何の関係もないから、再三私はしゃちょーに、挨拶は必要とお伝えしている。
何か私には分からない不透明事情があるわけではないと思う。ただ単に過去の経緯だとか、まだ会社の方針が定まらない不如意とか、経歴のわりにはぱっとしない小さい会社であることとか、そんな情緒的な理由で動かないのではないかと推測する。
 
先日も、いくらなんでも挨拶のない会社はありえないのではないかとお話しした。設立の、いわば初代の挨拶をしなければ、次の代に変わったときに温かく迎えてくれるはずもないと思うのだ。会社はgoing concernが大前提だ。
人望のある人たちなのだから、まだ方針が定まらないなら、定まらないことを、率直に開示してきちんと頭を下げて、ご指導ご鞭撻をヨロオネしたらどうなんだと思う。
 
何度言っても、理由も言わず行動もしないのが、私の性分とは全く違うので、どうしたもんかと考えている。世間的にはこれを、愚図というのではないか。私はぐずぐずされるのが苦手だ。理由があるなら私にも分かるようにはっきり表明すればいいじゃないか、と思う。
 
彼らは、自分たちの倒産会社をピーク時点で思い出すらしいけれど、社員でなかった私は、凋落時点で思い出す。いまだに倒産会社を「ウチ」と呼んだりするのには呆れる。だから態度も「ウチ」の時の尊大さを時に見せるのだ。もうただの弱小事務所の代表でしかなくなっているにも関わらず。ここらへんも、折を見て言っておこうと思う。
 
それと、さっき、生まれつきの運勢ってのを見てたら、自分の情緒パターンの一文に「人情に訴えるようなやり方を嫌い~」と書いてあったので、その通りだと思った。仕事に関しては、情に振り回されるような動きは奏功しないと考えている。振り回されようとするなら徹底的にだ。
 
先日、当社の人間とともに、70歳近くの現役女性社長を訪問しお話しをうかがう機会があったが、非常に力強く、口角泡をとばさんばかりにこれからの夢を語られた。後退の気配など微塵もないのがとても良かった。
 
私は、ちゃんとした話なら、自分が話すよりも聞く方がずっと好きだ。冗長でしかない話なら、失神しそうになる。