角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

ネギ焼きは普通でした。

 
近隣にこんな公園があるのを全く失念していた。路面電車にちょっと乗り、そこから歩く。広い公園なので全ては回り切れなかったけれど、かなりの坂道だった。よほどアップダウンに飛び込みたい性質のようだ。
 
今年は比較的暖かい日が続いているので、冬がこの程度ならどんなに楽しいかと思う。最近、身の回りで移住話が盛り上がっていて、年金氏は冬期間をマレーシアで過ごしたいといってマレーシア移住講座のようなものをどこかで受講しているらしい。こんどあったらぜひ詳しく聞きたいと思う。ちょっとネットで調べただけでもなんだか楽しそうだった。
 
また別件で、国内なら滋賀県に限るという情報も得た。京都に住んでいた人なのでしばしば大津市に行く機会があったのだという。気候も温暖であるうえ、静かで穏やかなまちらしい。魚も琵琶湖のが美味しいのだそうだ。大津市は初耳だったので有り難く、いろいろ調べてみた。
 
岡山が良いという話もあれば、倉敷が良いとも、松山最高という話もある。四国には行ったことがないので、とてもそそられた。
 
私自身は本気でそんなことを考えてはいないけれど、とりあえず現状の居場所を死守する必要はない。息子はしばらくは札幌にいるだろうけれど、その後はどこにいくか分からず、戻ってくることはないのではないか。
 
私は、これからどう生きるどう暮らすということに待ったなしに直面していて、一刻も早い決断をしなきゃならないのだけれど、逆に、例えば「あと20年しか活躍余命がありません。何をしますか」という風に考えた方が良いのかもしれない。20年なのか10年なのかの設定は難しいけど。
 
先日、店に年金氏がきたときに、自分は長いこと人に雇用された経験がないことを話すと、あと何十年も生きるわけじゃないし、そんなことはどうだっていいでしょ、と言うので、そういうもんかなあと思った。だからこそってのもあると思うけど。それに第一あと何十年以上も生きるかもしれないし。 
 
私が何も考えつかない今の状態というのは、きっと「終戦直後」の心持なのかもしれない。その時の振舞い方によってきっと明暗は分かれたのだろう。一度くらい賢明な人になりたいけど、昨日、元仕事関係知人が連絡をくれて、どうだと聞くのでやめたと答え、旅行に行くと教えたら、電話口で大笑いされた。正しい反応だと思った。
 
昔読んだ本で、中島らもは彼のお母さんが亡くなって以来、それまでの習慣だった嗽だったか手洗いだったかを全くしなくなったと書いてあったけれど、すごく良く分かる。
私は今まで「母に叱られる・母が知ったら何と言う」という一点で動いてきたところがあるから、もう完全に糸が切れちゃった。父や母が呆れて、連れにこないかなとも考えたりする。
私は悪人ではないので、悪いことはしてないけれど、ここのところ全く良いこともしていない。うがい・てあらいは必ずする。