角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

YOKAN 

 

年末の17日に1回目、19日に2回目の羊羹を作成し、1回目は少し寒天量が多かったので数日間で完食。
実験したかったのは糖化であるため、2回目は切り分けて暖房のない部屋に放置。ビギナーズラックというか、これが非常に良くできあがり、結果をまたずに半分くらいは食してしまった。
勝因としては、漉し作業を2回繰り返し、きわめて上質の餡を使用したこと、寒天液に餡を入れるのではなく、餡に寒天液を調整しつつ入れたことだと思う。塩の加減がうまくいって絶妙な塩羊羹になった。空気に触れるところから固くなり、じわりと糖化がはじまっている。エッジに白く糖分が析出してきた。ここまで2週間以上かかっている。もう少し糖度を上げると早く進むかどうかは私は分からない。羊羹について、詳しく書かれているサイトも少なく、分からないことがあるけど、解決できない。国会図書館の検索ではいろいろ楽しそうなのがヒットするけれど。
本当を言うと塩羊羹にするつもりはなかった。ちょっと手が滑って結果オーライとなった。

ついでだから書いておくと、餡作りのポイントは長袖。沸点が100℃を超えているし、やたらと撥ねる。長袖はもとより目出し帽でもかぶりたいところだ。あと軍手必携。2枚重ねでヘラを握るけれど、それでも熱くて爪が痛くなる。餡はよくよく練り上げないといけないから、こぎれいな仕事では決してない。私は短気だけれど、餡に関しては根性で練り上げる。漉すのも根性だ、と根性論を展開するわけではなくて、ただそうすれば美味しくなるのを知っているし、そうまでして食したいかと言えば、その通りだ。

満を持すというような感じが、釣り人の心持ちに似ているのではないかと思った。
 
そういえば、満を持すで思い出したけれど、早春賦の歌詞はすごい。「~谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず~」。こんなすごいのが、このあたりの時代にはごろごろしてそうで、驚く。
けれど私は相当に勘違い王であって、今までずうっと、松風のなかの「~夜の車に月をのせて~」のところがものすごく好きでいたけれど、もしかしたら夜の車というのはただ単にat nightの意味なのかもしれない。自分では「夜という車」「夜でできた車」「夜が車」みたいな意味を感じていたからなので、そうすると随分趣は異なってくるけれど。

もっとすごいのは、ひとからもらったメールの一文を返す返す読んで、何度も思い出して、そのたびに泣きそうになっていて、先日読み返したら、全く違う文章で、言葉も内容も掠りもしてないのに心底驚いた。どういう変換をかけたんだろう自分は。責任者でてこ~いみたいな気持ちになった。私は変だ。あっていたのは口調だけであって、同じ単語ひとつ出てこなかった。まあいずれの文言であってもどんよりする予感ではあったけれど、私は自分が壊れるんじゃないかと悪寒もした。いやすでに壊れている夜間。