角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

釘を打つ母。

 

天気予報は一日中雪だるまの画像だったが、雪だるまは降らなかった。
春先のようなぐしゃぐしゃの路面状態。
積雪した分だけ少し深さのある水たまりがあちこちにできていて水のあるところ鯉あり、と私は妄想しているので少しわくわくするというか、気持ち悪いな。

水中の鯉が陸間近に迫って眼があった気がしたことがある。ヤツラは吠えるように口を開ける。音もなくバウワウ吠える。

まあ鯉の話はどうでもいいけど、同僚が小さいケーキをプレゼントしてくれた。
クリスマスではなくて誕生日の。別な同僚は毎週のようにみかんを1個くれる。キャップをとって水物を飲むのは案外面倒なものだ。倒す危険もある。だから水分補給にみかんはうってつけだと言ったら毎週のようにいただくようになった。
なんだかんだと言いながら働く仲間というのはいいものなのだね。
私は食べ物をくれるひとになついてしまうところがある。クールビューティとか言ってらんない。作業中にマスクの中でみかんをもぐもぐするおばあさんだ。

帰宅してから紅茶を淹れてケーキをいただき、ホール消化は無理だったので半分を冷凍した。

不動産物件のサイトが好きで毎日見ている。読めて探せる、というキャッチであるが間取り図も好きだし、室内写真も楽しいので飽きずに眺めている。


ふと今日は部屋の柱に釘を打つ母を思い出した。
釘打つ母を目撃したこともあるし、私が留守の間に釘を打たれたこともある。
それは専らハンガーを掛ける目的なのだった。

賃貸住まいの時も母は柱に釘を打った。
購入した住まいになると当たり前のように適当な場所に釘を打った。

ものすごく悲しかった。

母が悲しいと思った。

私の親世代は戦争体験のある世代で、当時はみんなが貧しかったよとはいうものの、決してみんなが貧しかったわけではないことを知っている。知らないふりをしているだけだ。
母も父も貧しかったから、衣類を収納する箪笥以外に便利で都合の良い場所にハンガーを吊るしたかったのだ。ハンガーでなくとも何かをひょいと掛ける釘が欲しかったのだ。釘以外を想像できなかった母を悲しいと思う。

私は、他のやり方や他のパーツがあるのだと母に知らせることをしなかった。
母が釘を打ちたかったのだから、それでいいのだ。

若い私はマンションの資産価値などという言葉を思い浮かべたりしたが、結局母を咎めたりなんだりすることはできなかった。

今時のリノベーションではキッチン回りなどに有孔ボードを使う例がみられるけれど私はあれが好きではない。
なんという名前で流通していたのかは知らないけれど私が子供の頃にも流行した。
流行ではなくて一般的だったのかもしれないが、一面に丸い穴があいているから適当な箇所に金具のフックを差し込んでお玉杓子だのプラスチックの包丁立てだの三徳缶切だのを一面にぶら下げるような使い方をした昔を思い出して、懐かしさというよりは有孔の各孔の周囲がいずれ油っぽくほこりを寄せる様を思い出すので私はあれから逃れることができて良かったと思う。
たまに金具を全部外してボードを拭く必要があったのでね。


母に会いたい。私に誕生日があるということは産んでくれた母がいるという証だ。