角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

さる人。

 

地下鉄の扉に「ああ食べらさる」というコピーのポスターが貼ってあるから、それを目にするたびに「さる」言葉を考えらさる。

「さささる」というのは有りだろうかと考えていて、これは有りだと思ったのだけれど、「ささらさる」という言葉が浮かんできてちょっと困った。しばし違いを考えてやっと自分なりにかどうかは知らないけど、自分では正しいと思う結論に達した。自動詞と他動詞の違いだと思う。
さすほうはさささる、ささるほうはささらさるなのだ。では、さるの場合はというとこれはさらさるだろう。いやさらささるだろうか。さらすのならさらささるなので、やはりさらさるでいいのかもしれない。さが続く様は軽くめまいがしそうだ。
 
めまいはともかく、呆然としているうちに2月になった。
 
年をとって如実に変わった生活習慣というのは、占いや運勢に何の興味も持てなくなったことだ。これは本当に可笑しい。まだ少し若い頃は遊びだと思いながらもドキドキやワクワクを感じたくて占いサイトを眺めていた。早い所では年が明けないうちに新年の占いを掲載するので年末年始の恒例だったのが、いつのまにか、あなたの未来だの将来だのという言葉に苦笑するような年齢になりぴたりと見なくなったのは我ながらげんきんなことだ。
そんなわけで今年が私にとってどんな年回りかなんてもはやどうでもいいのだった。

とりあえず立春ころが良いような気がしたので味噌を仕込んだ。気持ちが落ち着いた。拙宅には麹もある。酒粕もある。さきほど甘酒を作って全部飲んだのでホロホロする。
まあ、今年は発酵活動をする気になっている。結局、自分のために作って飲んだり食べたりするのが好きなのだった。2012年あたりに始めて、1年くらいでやめてしまった糠床も簡易バージョンで再開してみるかもしれない。
 
 
ところで私はどんどん写真を撮らなくなっている。旅先で数枚撮ることもあるけれど、なるべくなら面倒なので撮りたくないし、私はなにしろ憶えているのだし、憶えていることだけが思い出なのだし、とうそぶいてみるけど、やたら多いのは旅先ではなくて近隣の雪景色だった。
私は雪が好きなのだと思う。道を歩いていてもああ美しいと思うことがある。
それと鯉の写真ばかりある。
私は鯉が好きだったのだろうか。鯉は好きではないと書いた記憶がある。私はあなたが好きだったのだ。いちまいの写真もないひとはさらさったのだ。