角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

慌ただしさもあと1週間。

 

51週目ともなればやはり慌ただしい。いろんなことをしなければならない。
ワクチン接種日があり、翌々日は仕事日だ。今までは翌日も翌々日も休日を選んでいたが、現在のシフトには連休がないため何事もないとは思うけれど少し気になる。
昨日は散髪を予定していたがわざわざ人混みの中に出かけるほどのものではないと思い、コロナが落ち着くころまで行かないことにした。伸び放題にしたところでもともとが短いのでたいした問題ではない。職場でも私用でも帽子を被っている。

今日はことのほか寒いと思ったら朝方はマイナス8度まで下がった模様。暖房設定を1度低くしたら部屋が暖まりきらない状態で仕事に出ることになり、昼過ぎに帰宅すると室内は11度しかなく、これは大変な事態だと設定温度を元に戻した。ずいぶん冷えるものだ。

職場では「温泉につかりたい」とよく話している。勿論話だけであって全員が一堂に会するという機会は絶対にない。全員が一斉に退職するのでもなければ。
ああ温泉につかりたい。

先日注文したBRUTUSの「珍奇鉱物」が届く。まだ封を切らずにおいておく。定価よりもかなり高かったが欲しい本は買った方がいいような気がする。
1万円だしても欲しい本や、300円でも欲しくない本がある。ずうっと昔にどうしても欲しかった句集のようなものがあり、特別にお高い値段だったがどなたかに差し上げたくて思い切って買った。どなたかには差し上げることはなかったが、ではその本は一体どうなったのだろう。手許にはないので、興味が失せた時点で売ったのだろう。おそらく。

大抵の場合興味が尽きないことはなくて、いつかは興味を失くしてしまうのだから誰かが自分に対して興味を失ったところでそれを咎めたり問題視したりすることがない。時間は等しく切ない。

さてさまざまな価値の本があり、スーパーには1本の価格と半分の価格が同じ野菜が堂々とある。時によって1本買ったり半本買ったりする。丸ごと1個400円のキャベツなら買わないが、1/4が100円であれば買う。1玉158円であれば1玉買う。
ものの値段というのはどういうふうに変動するのだろう。ものの値段が変わっているのではなくて貨幣価値が変動しているのだろうか。自分自身の買物の仕方を考えても必ずしも安いから買うというわけではなさそうなので相場感というのが一定でないことに少し混乱する。

いろんなことをするといいながら、行かないことにした散髪というのも行かないスケジュールの範疇であるので行動もまた一定でなくて混乱する。