角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

あんみつ行動。

 

米がなくなりそうで、客として職場に行った。
是非ともフルーツみつまめの缶詰が欲しかったのだが置いてなくてわらび餅を購入。前日に少量の小豆で餡をつくっておいたから買い置きのキウイなんかも切ってあんみつを食べようと思ったのだ。
幸いわらび餅には黒蜜と黄な粉がついてきたので十分に美味しいあんみつになった。

本日は寒天仕様の本来的あんみつが食べたくて近隣ドラッグストアに行ったのだけれど置いてなくてゼリーを購入。やはりキウイを切ってそこそこ美味しいあんみつ風になった。

明日はスーパーに行くので寒天入りの缶詰を買おうと思ったがすでに餡を食べつくしたため、あんみつは一旦終了する。

今頃やっと気づいたのだが、以前よく通ったうどん屋がなくなっていた。6月末で閉店したという貼り紙を見つけた。早朝から営業する店だったので近隣に越してきた友人といつか朝食をそこで食べられたらいいなと思っていたのだが、残念なことだ。

当地は幸か不幸か暑くはない。外を歩くと十分暑いのだけれど30度を超えた日が何日あっただろう、一日くらいではなかったか、おかげ様でまだ扇風機を出していない。例年ならお盆が過ぎるとあっというまに風が変わって秋の風が吹くので扇風機も団扇もないまま今年の夏は終了するのかもしれない。

いつだったか母が存命のとき、8月の下旬に早々と生筋子がスーパーに並んだ年があってちょうど二人でスーパーに行った日で、ずいぶん早いねえと笑った。もうそんな季節になる。

コロナが出現して以来、墓参機会を逃していて今年は漸く6月にいくことができたけれど、元夫のところへはもう行かないのではないかと思う。駅前で高速バスを降り、そこから結構な距離を歩く。

墓参といっても雑草を始末してお線香を立てて手を合わせるだけだから、極めて短時間で今来た道を戻るのは考えただけでしんどい。
年年歳歳行動半径が狭まって行く。休みといえども各種用足しやら通院やらで忙しい事情はあるが、少し遠出しようという気持ちにならないのはやはり老化なのだろうか。こんな体たらくで旅行に行けるのかと考えた。