角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

夏の終わりのきくのくき。

 

ライオンキングを見に行こうと思ったら字幕版が午後の遅目の時間にしかなく諦めた。私は吹替版を見ない。英語が分かるとかそういう話ではなく、耳よりも目のほうがいいからだ。

まあそんなわけで映画を取りやめにして元夫の墓参に行くことにした。
近隣のバス停から高速バスに乗れるので、一番バス停に近い自販機で飲み物を買っていこうとぶらぶら歩き一つ目の自販機をスルーし、二つ目の自販機をスルーすると、バス停についてしまい、そういえば去年もそうだったと学習能力のなさを嘆く。
 
到着地点から1キロ以上はたっぷりと歩くので、ここもいつまで来れるか分からない。何もないまちなので、何の楽しみもないというのも理由だ。墓参に楽しみを見つけなくてもいいのだけれど。
 
お盆の先客が入れたらしい花が半分溶けていたので捨てた。腐った菊のにおいは耐え難いものがある。指先についてとれない気がした。私のにおいになってしまう気がした。あるいは私のしたことの悪臭ではないかと思った。

私は凶悪でないし極悪でないし犯罪者ではないけれど、非道であるかもしれないとときどき思い出す。
自分の角が少しずつとれて静かで穏やかな、いいひとぶりの合間に。
息子家族や猫に囲まれる平和のかげで。
職場で流す汗が冷えるときに。
私が充実したり安心したり幸福を感じたり美味しかったりすることの全てが人の道を反れた延長線上にあるのではないかと。
間違いに間違いを重ねて幸に手を伸ばすのは間違いではないかと。
 
実に、そういうことを考えることこそがお盆なのではないかと思う。