角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

朝顔の木。

 

自分の日記なので後日もへちまもないのだけれど、ゴミ捨てから戻って屋内の貼り紙に気付いて驚いた。
前日日付で管理人さんが退職なさっていたからだ。前日は一歩も外に出なかったから掻き消すようにいなくなった感じがある。何か規定などがあって管理人業務の人は居住者には知らせずに交替するものなのかどうなのか。たった一年のおつきあいであった。小窓を覗き込んでの挨拶を私はしないけど。

実際のところ、これ以上の人はなかなか見つからないだろうと理解しつつも私は少し窮屈な思いをしていた。人によっては微かに緊張感を抱くかもしれないふるまいが自分に似ていると気が付いた。

例えば外から戻って玄関鍵を開けようとしていると管理人室に彼がいるときは中でボタンを押して開錠してくれる。毎回。必ず。
未だお昼休み時間帯だと思っているとすでにカーテンが開いていて就業態勢になっている。
雪がたくさん降ったときなどは開始時間の前からきて雪かきをしてくれる。
でかけるときに遭遇すればいってらっしゃいの挨拶をしてくれるし、戻りであればお帰りなさいと声掛けもしてくれる。それで一日に何度も出歩くのが躊躇された。

管理人さんとして非の打ちどころのない人なのだった。唐突に退職なさったのが大変にショックで居住民が捨てられたような気がした。けれど少しばかりほっとして、好きな時間帯に出かけたり複数回出かけたりするようになった。屈折した思いを抱えていたのだ。
雪が掻き消すごとくなくなったと思ったら管理人さんまでいなくなったので春の寒さが身に染みた。


昨日は、高校時代の友人がマンションを買うから内見に付き合えと連絡してきたので付き合った。拙宅から徒歩数分の距離だ。
フルリノベーションとはこんなに素晴らしいものかと思うほど美しかったし、豪華設備であったし、広かった。不満も見当たらず彼女は即決した。ローンを組める年齢ではないので現金払いに決まってると言った。

よく考えたら現在の部屋と以前住んでいた上階の部屋を合わせたのとほとんど同額だったので、私にも大金を動かせた時代はあったのだなと感慨した。拙宅の倍くらいの広さであるのもうなづける。

近くに住むと行き来がはじまるのだろうか。こうやって何となく寄り合ってくるのは終点が見えてきたからなんだろうか。
先日ネットでみた一文に、その年齢は毎日自身の体調の好不調を気に掛けつつ静かに過ごすのが一般的というようなことが書かれていて「その年齢」である自分は来週からパートを再開するのでいかに疲労を蓄積させず良い睡眠をとれるかが喫緊の課題となっている。静かに過ごすのはもすこし先となりそう。

さきほど外にでたらまだ葉の一枚もついていない木があって、そういえば辞められた管理人さんが朝顔のつるをこの木に這わせ、てっぺんの方までたくさん花を咲かせてくれていたと思い出した。あまりに見事だったのでいいですねえと夏の朝にご挨拶したときは朝顔一番!と仰った。