角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

もとさやで働く。

10:12 2022/04/02

 

小学校の高学年のときに読んだ本の中で、女教師が女生徒に「あなたは我儘が通っていいわね」と言うシーンがあって、本の内容すら覚えていないのだけれどその言葉を何かの折々に思い出してしまう。今調べると映画化も私が産まれる以前だった。本は家を訪れた人がおみやげにくれたものだ。

私が何か我儘を強烈に通したという自覚があったわけではない。けれども折々というその折に思い出すということは潜在意識に何かひっかかるものがあるのかもしれない。
多分おそらく私は我儘が通るタイプかどうかといえば通るタイプだと思う。泣き叫んで我儘をいったことも全くないし、女王様でもなければ目立つ美人でもない。あ、目立たない美人でもない。
けれどその言葉を思い出すたびに少し恥ずかしいというか後口に苦みが残るような気分になる。私はそれをあまり良く思っていないからだ。

私には人を動かす力なんかないのに、そんなふうな結果が待ち受けているというのは、人が私をゆるすからではないかと思った。私は人にゆるされているのか。ゆるしてほしいとこいねがったわけでもないのに、大いにゆるされて生きることの屈辱感あるいは後ろめたさのようなものがあるのかもしれない。


諸々の手続き動作を終える中旬から仕事にでることが確定した。いわゆるモトサヤで。
偏に元同僚の尽力に負うところが大きく、私自身が動いてきたわけではなかった。時間と根気のいることだった。見ようによっては我儘を通したとも言える。

確定の後、同僚らが非常に喜んでくれた。私の仕事が丁寧且つ迅速であり、愛されキャラまたは姉属性の慕われキャラであるから、ということは全くない。
彼女たちは週に6日、時には7日働いているので過重労働軽減要員として喜ばれているのだ。

もひとつおまけに私は仕事を得るときに土日祝盆正月及び誰かの有休日の代替要員をかって出ている。これは高齢化したときから心に決めたことだ。そのくらいを提示しなければ雇用されないと思った。
うっかり勘違いすることも多くなり、動きも以前ほど切れ味のよいものではなくなり、いわば心身ともに鈍重化した。だから、大目に見て欲しい、見逃して欲しい、かばって欲しい等とは絶対に言ってはならない。これはもう、そんな気配を見せただけで就労希望高齢者の間口が狭まる危険な言葉であり思惑だ。おとといきやがれ案件だ。

私はいつまで働けるんだろう。今度こそ最終ステージだ。迷惑のかからないように粗相のないようにと心から願っている。