角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

コーヒーを飲む。

 

「熱くて苦い濃い」というのはもう受け付けなくなったので朝はカフェインレスの穀物コーヒーを飲んでいる。私はコーヒーの味が分からない。ときどきああ美味しいと思ったり、これは全部飲みたくないと思うことがある程度だ。
にもかかわらず私は昼食にコーヒーを用意する。
夏場でさえホットコーヒーを飲もうとする。コーヒーが好きというよりも、コーヒーを飲む自分または時間が好き、あるいはコーヒーを飲む行為が好きである、またはコーヒーカップの取っ手が好きである、のだと思う。

今日も今日とてコーヒーを飲んでいると薄日がさしたのでそそくさと散歩にでたのだけれど、寒い。とても寒い。当地に秋はほとんどないかのごとく中抜けしたようにいきなり寒い。歩きながらおでんのことを考えた。
 
そういえば昨日の散歩も途中で雨に降られたりして寒かったけれどコンビニでアイスバーを買った。元職場の同僚ともアイスは寒い季節に買うということで意見は一致した。道民の面目躍如だ。
なぜなら夏の盛りにアイスを買うと徒歩組のわれわれは自宅に着くまでに溶けてしまうからだ。なぜ冬に、と店長に聞かれたときもそう答えたと同僚は言っていた。間違いない。
ああでも夏にも近隣コンビニで買っていたな、私は。卑怯者かもしれない。卑怯なのか。
 
六波が来る前に日帰り温泉に行きたい。旅行でもなんでもそうだけれど、もし出先でめまいがしたらとか、血圧が爆上がりしたらとか、いろいろ考えだすときりがなくて絶対にものごとは実現できないので、余計なことは考えずに家を出るのが良いのではないかと思う。
そうなったらそうなったで死ぬかもしれないし死なないかもしれないけれど、どうせいつかは終端に達するのでそんなに日々をおそれて暮らすこともないではないかと考える。

母は全てマイナス方向で考える人だったので何一つ楽しそうではなかったし不安だらけの日々だった。自分の不平不満と不安で人の足を引っ張るようなところもあったので母は、母の一生は父を失くして以来幸福だったろうかと考えた。役立たずの娘しか母にはいなかった。