角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

どっちなんだ。

 
今使っているコーヒーカップよりもも少し容量のあるマグカップが欲しいと思って検索すると保温・保冷性能のついた商品がたくさんあった。従来からある何とか焼きのような陶磁器もマグカップに関しては市場が縮小したのではないかと感じた。けれどコーヒー店ではいちいち真空断熱のような高機能のカップで出すわけではないので、少なくとも自分の行くところでは陶磁器のカップだし、コーヒー紅茶は冷めるものに決まってる。

自宅で飲むにしても冷めるものに決まっているので電子レンジを保有していたときはたまに途中で温め直したりしていたけれど、現今では特に気にならない。熱いのが好きだ、と今までは思っていたけれど、実際の所どうなんだろう。私はいつまでも冷めないコーヒーが飲みたいのだろうか、いつか冷めてしまうコーヒーのつかのまの熱さを楽しみたいのだろうか、一体どっちなんだ。
 
それでマグカップを選べなかったので、今のカップの取っ手がとれたら改めて考えることにしよう。
 
コーヒーはこのところずっとカフェインレスを飲んでいるのに、紅茶を復活させてしまったし緑茶も好んでいるのでカフェインレスにあまり意味はないような気がする。
 
ところで、私は一日に何度か小田嶋隆のツイッターをチェックしている。なぜなら気に入っているからだ。この人の書く文、使う言葉に溜飲の下がることがしばしばあるし、切り口が痛快だ。1月8日付け日経ビジネスの連載コラム―「群れる者は狂う」という結論―も、とても良かった。
様々な人が様々な文章をあちこちで表現するにあたり、考え方に共感したり方向性が類似したりして緩くつながる関係というのは誰にもできあがるものだと思うけれど、小田嶋氏の本の中で岡田憲治先生の「言葉が足りないとサルになる」という著作に少し触れているところがあったので、なんだか嬉しくなった。私もこの本はとても良いと思ったので。でも小田嶋氏と交流のある内田樹を私は苦手であるので、先日も書いたように、小田嶋氏を盲信して何でも鵜呑みにする態度は危険であると考えている。信頼しきってついていこう、という関係は結婚とかそういう感情をないがしろにできない関係性のことだろう。あ、今時「ついていこう」はナンセンスかもしれない。
 
私は自分の言葉を持ちたいといつも考えていて、すなわち年頭にあたって目標にするのだった。何度も。