角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

練習中。

 

練習中なのだ。老後の日々を。
いやもうすでに老後といっていいのかもしれないけど、とりあえず現在は無職であるし、3月の空は吹雪くからここ数日はでかけていない。

このぼんやりした練習の日々にもすぐに飽きると思うので、そしたら少しずつ啓蟄のごとく動き出すことにする。

ひな祭りは、老境の身に華やかなちらしずしというのも何だか気恥ずかしいので鯖の押しずしを作った。しかもしめ鯖の。しかも炙りで。
ところがものすごく失敗したので、これなら普通にご飯としめ鯖を食べればよかったのだろうと反省しつつ、押し寿司の木型を発注した。
カニカマを使うとごちそう感の割にコスパが良さそうだ。
3月は見事に酸味のもの苦味のものが欲しくなる。身体的に季節に反応しているらしいのが少し嬉しい。

旅行計画を立てたりしたものの、時期尚早ではないかと気づいたので計画案は破棄した。時期というよりも一年間どこにも行かずじまいだったので、ずいぶん体力が落ちている気がして何だかあちこちを巡ることが不安に思えたのが一番の原因だ。ここから先の一年間というのは階段を下りるようなものかもしれない。こんなふうにしてどこにも行かない人になるのかもしれない。

今年に入ってから本を読む頻度が落ちたようにも思う。同じようなものばかりを読むので飽きたのかもしれない。そんなときに食堂の小説があって、というのも随分大くくりな言い方だけれど詳しく書くと食堂を経営する家族の周辺を描いた15分ドラマのような内容の本を見つけた。これは書店で見つけて購入した。それがかなり面白いというか好きな内容であったのでシリーズの最初から読もうと思った。
以前、珈琲豆や陶磁器などを売る小さな店をやっているお婆さんの、これまたテレビドラマ仕立てのような本をシリーズで読んだ。そういうのは初めてだったので楽しく読んだ。気を付けて見ると今回の食堂の本以外にも喫茶店とかお弁当屋さんとかを舞台にした本が結構あるのでひとつの小さなジャンルとして確立しているのかもしれない。

それにしても内容的には天地は大げさだけれど、ずいぶん差があると感じた。
あまりにもつまらなくて途中で読むのをやめたのもあるから、同じ本のカタチをしていても心を揺さぶるようなものから、拙くて読みたくないものまでさまざまなものだと思った。絵画でも人間でもそうなのかもしれない。

amznでそういった本を眺めているとたまたまある表紙が目にとびこんできて、そのイラストが好きで、どうしても好きだと思ったので結局購入した。
水谷有里というひとの描いた作品のようだ。いわゆるジャケ買いのように表紙で本を選ぶということもあるものだ。これは佐木隆三の「身分帳」という本。内容を知らずに読んだけれど犯罪の文学だった。濃かった。
 
毎日老後ごっこをしていると時間がたくさんあるのでご飯を炊いてからお櫃に移したりしている。ご飯が美味しい。でも時間がたくさんあるというのは実際のところ間違いなのだと思う。