角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

鯛づくしといったって。

 

真冬日続きを抜けて、日中の気温がプラスに転じるとなんだか気もそぞろになってくる。今日はあったかいねぇと口々に言ったりする。この前耳鼻科に行ったときは先生が「今日はあったかいね」と仰ったけれど、その日は外気温がマイナス5度で、マイナス8度や10度に比べれば確かに温かいとはいえ。

いずれにしても冬はまだ終わらないだろう。3月が一番寒いと毎年私は思うのだ。
ぬくもりたくて先日は温浴施設に久々に行く。黙浴しましょうというポスターが貼ってあった。混み合ってもいず、気持ちのよいお風呂だった。

去っていくあるいは去る人のどちらの立場であっても切ない気持ちになることが分かった。今までは去られる人だったのが今年は去る人になったからだ。人の日常から欠落すること、人の記憶から抜け落ちることはすなわち死であるように思う。去る人は忘れ去られる人でもある。
 
さて、スーパーで鯛のアラを見つけた。カブトからすると結構な大きさのようだ。ここらへんでは鯛をどんどん捌いたからといって飛ぶように売れるものではないから、鯛のアラというのはレア商品なのだ。198円の値札がついている。なんという幸福。
それで本日は鯛めし・アラ炊き・アラ汁の鯛尽くしとなった。別に尽くすつもりもなかったのだけれど量があった結果こうなった。どれも甲乙のつけられない美味しさだった。198円でこんな贅沢ができるなんて、笑いがとまらない。
 
もうすぐ無職になるのに笑ってばかりもいられないかもしれない。とはいえ、極めて呑気で楽天的な性質なので二進も三進も行かなくなるような思いをしたことがあまりない。なんとかなる、という以上に自分でなんとかする。特に気にしていない。
 
巷間では「老いなき世界」という本が人気を集めているらしい。昨年の9月に出たということなので私が遅れているのだろうか。読んでみなければ分からないのでなんとも言えないけれど、副題に「人類は、老いない身体を手に入れる」とあるので、正しく老いて正しく枯れるように死んで行きたい自分には違和感があるタイトルなのだけれど、やはり読んでみなければなんとも分からないようだ。
誰にも惜しまれたり悲しまれたりしないくらいに人の記憶からすうっと抜け落ちて朽ち果てるのが理想なんだけど。言い換えると悲しませたくはないと思っている。

その昔、ピーターとゴードンの「愛なき世界」という曲があって、大好きだった。1964年の作品で作詞・作曲はポール・マッカートニー。
上記の本のタイトルで真っ先に思い出したのがこの曲。