角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

甘い朝。

 

いわゆるブドウ糖負荷試験という糖尿病の検査をした結果、無問題であった。
空腹状態で採血等を済ませてから甘い炭酸入りの液体を飲んでそこから30分ごとに計5回の採血をするというものだ。120分かかる。それから診察待ちがあるので本日は半日以上を病院で過ごしたので暖かいところで手持ちの本を読み終えることができてよかったのです。炭酸入りのトラーレンという小瓶を紙コップに注いで飲むのだけれど、最初の1杯は空腹のせいもあって美味しいですとゴクゴク飲んだけど、後半は、飽きてきましたと申告してみた。いちいち感想しなくてもよかったか。ははは。蛍なんかも集まってくるだろうか。
 
 
コロナ禍の下で各所の待ち合い雑誌がなくなっているところから、売上にも結構な影響を与えているのではないかと考えた。乱読していた自分もここ数年あるいは十数年は雑誌を購入していないので似たような人々がたくさんいて、えらいことになっているのかと思う。
 
なぜ自分が読まなくなったか買わなくなったかを考える。逆にどうだったら購入するだろうかと考える。コミック雑誌についていえば、連載がいやになった。面白ければ面白いなりにぐずぐず引き伸ばされて完結しないところがいやだ。こどもの頃から読み始めておとなになってもまだ終わってないとかいうのはむしろ不気味な気がする。ずっと大事に読み続けていてもあるとき急に手放したくなることだってあった。ぜひそこそこの回数で完結して欲しいと個人的には思う。
 
コミック以外の雑誌は、もうすでにコンテンツが自分には向かないものばかりとなった。だからといって年寄り向けの話題ばかりもそんなに読みたくはない。大人のご婦人むけの本となると雑誌というにはおそれおおいような上質の紙で分厚くて華麗なフォトグラフ満載で、と追求したいのはそっちではないのだった。まあそれはそれでたまに見るのは美しくて良いけれど、あまりにも自分の生活と乖離しているとしらける。
 
そんなわけで見たいときには図書館で眺めてくるだけなので自分では購入しない。ここ数年で買った記憶があるのはブルータスの特集号だけだ。
 
休みの日は食材の買い出しか本の買い出しかどちらかのアクションが必ず発生する。食べるように読んでいるのだ。良く咀嚼もせず。
読書はアウトプットしないと意味がないというようなことが盛んに言われていて、検索するとそんな記事がたくさんヒットするけれど、大きなお世話だ。
上品に書くと、少々やかましいです。