角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

銀杏。

 

英雄ポロネーズをききたくてyoutubeで何人かをきくと、辻井伸行のが自分の好みにあったので引き続き月光をきくと、これが大変良かった。胸にしみいるようだった。
 
結局自分の場合は、予想通りピアノのピの字もさわれなかった。機会があってもさわろうとしなかった。勿論私は絵も描かなければ花も活けず字も下手ならば歌も歌わず外国語は習得せず山にも登らない。要するに無芸なまま生涯を終えるところだ。というか、むしろ早く終えたいと考えているので、てすさびにたまさかに日記を書くくらいだ。なんて古語なんだ。
 
母存命の頃、かあさんには何の趣味もないんだなと思っていたけど、母がやっと自分の時間を得たときにずっと前からやりたかったんだと言って俳句を始めた。上手かった。どのくらい我慢していた年数があったんだろうと思った。
今年は誰の墓参にも行かずじまいだ。それを気にしているわけでもないけれど、最近は自分がいかに親不孝な娘であったかをしばしば思い出してつくづく嫌になる。私は母の言うことには従ったけれど、母を気遣うことがない娘であった。母としてもおそらく本質的な性分の合わなさというものを感じていたことと思う。それが寂しさにつながったか。
親に寂しい思いをさせて、こどもにも寂しい思いをさせたと思うので、私はずいぶんといかがわしくてだめな存在なのだと考える。
 
困った。ひとを寂しくさせないようにするには何をすればいいか、どうすればいいか、私は良く分かんない。
 
道すがら銀杏の実を蹴った。昨年だったか、俳句ではないけれど標語のようなものを一度作ったのは、えーと、なんだったっけ、どんぐりを蹴り銀杏つぶす仲良しのはて。とかいうやつ。「はて」についてはずいぶんと考えていた。言いたいことがあった。言わなかった。