角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

1割を思う。

 

動物園に行った。あちこち準備中やら工事中で、象やキリンと等しく雨に降られたのだった。
翌日は温浴施設に。今年初かと思ったら1月に2度ほど行っているのでその頃はまだ静穏だったのだろう。コミックが大変に充実していて、私は喜々としてゴールデンカムイを読んだけれど、すっかり前半を忘れてしまっているので私のような人間は一気通貫で読み通した方がいいのだと思う。
それでここ数日間でバットマンのダークナイトトリロジーを再度見てやはり自分の記憶が全くあてにならないことも理解した。どうしても好きな映画なのでそのうち3回目に突入する所存。第一、勘違いしているところも多々あったり、そもそもが注意力の散漫な人間なので重要なところを見落としたりもしていた。何度でも楽しめる。
 
 
日々ネットの情報に接していると、テレビ情報で生活している人とはあまり社会の共通認識のようなものがない気がしてくる。テレビで報道されないこともあるようだし。
私が、あの事件の初公判ニュースに対するコメントに「やっちゃえ、TOYOTA」というのを見つけて笑ってしまったというようなことはテレビ下の人には伝わらないのだ。それがどれほど有益か有意義かということは別として。
 
さて、そういうことを書きたいのではなかった。
思いもしなかったことを思うようになるし、考えもしなかったことを考えざるをえなくなることがあるということだ。くどいけど。
 
お風呂やトイレのドアが開かなくなって閉じ込められる経験というのは割合にしてどのくらい発生しているか知らないけれど、少なくとも年齢には関係がなさそうだとは思う。若い時はそんなことを思いもしなかったのが最近になって、万一を想定すると怖くなった。心配事の9割は起こらないという本があるようで、心強い限りだけれど、残り1割について思いをはせるようになったのだ。
入浴時にドアを閉めきらないで入るともはや涼しい風が入り込んで温まらないので根本的な解決ではないものの、スマホを持ち込むよりほかはなさそうだと考えた。防水ケースというのも売っているのでねんのために購入しておくつもり。ただメガネがないと誰に連絡するにしても困ると思う。誰に連絡するのかというのはさておき。
そんなことを考え出すときりがなくなる。京極夏彦の「オジいサン」のようになってしまう。
 
10月分の本を殆ど読み終えたり、読まなかったりしたので散歩がてらブックオフに行って買い足した。
南3条通りを途中で左に折れて狸小路に入り、狸小路の1丁目と2丁目のあいだで折れた。なかなか楽しいルートだった。
 
村上龍のオールドテロリストを読んでいるけど、思っていたのとおもむきが違う。森村誠一の星の陣のような話を想定していたのだけれど。たくさん検索をして老人が主人公のような話をずいぶん読んでいる。もっとないだろうか。心構えとして必要なのと、単純に面白いからだ。物騒なことをしでかすつもりは全くないけど。
 
考えもしなかったことを考えざるをえなくなることについては後日。