角度ノート

駄文も積もればログ資産。かもね

だから夏のおわり。

 

それにしても夏のおわりというのはなぜこんなに物悲しいのか。口々に夏は終わったねと職場で言い交すに違いない。私は春の終わりと言うものを知らないし、ましてや秋の終わりも知らない。けれど毎年夏のおわりだけはきっぱりとあるのだ。もちろん晴天の日も気温の少し高い日もこれから先に何日もあるけれど、それは夏ではなくて秋晴れなのだった。
秋冬が嫌いなわけでもないし、季節なりの楽しみはある。
 
それにしても夏のおわりというのは決して振り返らずに別れきって二度と邂逅しない人間関係のようでもある。生と死の切り口のようではないか。私は生であったか死であったか。
雲の魚たちに小突かれてふいにあちら側に寝返ってしまう私の命の裏ったら裏を思う。
 
そういえば先日はてな匿名ダイアリーに―「傷付いた」という嘘の概念―というタイトルの文章がのっていて、ざっと読んだけど、まあそうだよね、と思う。「傷付く」というのは「少女漫画に教え込まれた変な概念」だとも書いている。それは知らんけど。
 
自分を暗いところに追い詰めるようなのは嫌だ。

シンデレラ認証を受けたいのかとも思う。ついでに書くと、私ばっかりとかどうして私だけが、と語る人は苦手だ。うるさいなあと心から思う。がんばってるのにとか言われても困る。じゃあ黙って頑張り続けたらいいんじゃないのかと言いたい。

辛いけれどやめられないとか、別れたいけどできないとか、離れたいのに事情があるとか、例えば小町なんかではそういう意味不明な相談事なのか愚痴なのか分からない記事が結構多い。そういう小町をとても楽しく読んでいるし、ひとには「ああそれは傷付いちゃったねえ」とか心得顔で語る。